野村克也・月見草84年の真実(6) 爆笑・感涙・ア然「三冠エピソード集」〈1〉 (2/2ページ)

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それをカバーするために、ピッチャー、内野陣、コーチ、そして野村さんが一丸になって何度も練習して、クイックやピックオフ(リードする走者をアウトにするための連係プレー)を完成させていきました」

 南海はこの頃、ほかにもバッターやバッテリーの癖、データを駆使する野球を試みていた、と語る江本氏。当時「シンキングベースボール」と呼ばれたそれが、野村ID野球、ひいては現代プロ野球の源流につながっていたと言えるだろう。

「知将」とたたえられる野村氏の采配でも特に記憶に残るのが、阪神監督時代に左右のワンポイントリリーフを交互に繰り出した継投策「遠山・葛西スペシャル」だ。昨年11月に大阪・浪速高校野球部監督に就任した遠山奬志氏に当時の心境を聞くと、こんな答えが─。

「打者との相性を考えての起用でしたが、本当はきっちり1イニングを抑えたい、と思っていました。それは葛西も同じです」

 しかし本人の悔しさとは裏腹に、野村氏の助言でフォームを改善し、9年間の未勝利から復活を遂げた遠山氏と葛西稔氏のコンビは勝負どころの試合終盤、相手打線をキリキリ舞いさせた。結果、球界の主砲で当時の常勝巨人の4番打者・松井秀喜氏に対しても、13打数ノーヒットという圧倒的な成績を残したのだ。

「当時の阪神のような弱いチームが勝つためには、さまざまな戦法が必要でした。ワンパターンにならないよう、攻め、守りのバリエーションは豊富でした。チーム全員が真剣にミーティングに参加し、作戦を周知させていましたね。逆に野村監督のボヤキは、対マスコミのパフォーマンスだと割り切っていちいち聞いていませんでした(笑)」(遠山氏)

 昨年、テレビ番組の企画で「平成のベストナイン」を選出した野村氏は、中継ぎ部門で遠山氏の名を挙げ、

「投手向きの性格。何がいいって、度胸がいい」

 と語っている。采配の裏には当事者のさまざまな思惑があったが、野村氏がプロ野球の魅力の一面を演出したこともまた事実なのだ。

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