絶体絶命!賊徒に襲撃された清少納言が裸体をさらけ出し…どうなった?【後編】
前回のあらすじ 絶体絶命!賊徒に襲撃された清少納言が裸体をさらけ出し…どうなった?【前編】
平安文学を代表する女流歌人・清少納言(せい しょうなごん。この当時50歳前後)は、兄・清原致信(きよはらの むねのぶ)の屋敷に滞在していました。
その時、折悪しく屋敷を賊徒が襲撃。決死の大立ち回りも虚しく、致信が殺されてしまいます。下手人の首魁は、かねて致信らと抗争を繰り広げていた源頼親(みなもとの よりちか)ら約30名。
「……まだ誰か残っておるかも知れぬ!探せ!」
屋敷じゅうをドカドカと蹂躙する賊徒らの足音は、ついに清少納言の寝室まで迫って来たのでした。
女性(尼)と言っても信じて貰えず……「おい、坊主がおるぞ!」
格子にかけた閂(かんぬき)をぶち破って寝室に踏み込んだ賊徒は、恐れ悸(わなな)く袈裟姿の清少納言を見て、男性僧だと認識したようです。
「……尼にございます!わたくしは尼にございまする!」
自分が女性であると告げれば、よもや賊とて命までは奪うまい……そう咄嗟に判断した清少納言の必死な抵抗でしたが、賊徒は聞き入れる様子がありません。
「偽りを申すな、この売僧(まいす。僧侶に対する蔑称)めが!」
「ひぃ……っ!」
容赦なく斬りつけられて、清少納言は必死になって老体をかわします。
「真にございます!真に女性(にょしょう)にございますれば……!」
何度も何度も自分が女性であると訴えても一向に信じて貰えなかったそうですが、よほど体格が良かったのか、あるいは声がハスキーだったのかも知れません。
(※また、追い詰められた貴人が女装して難を逃れる事例が少なからずあったのも、疑われる一因となったのでしょう)
「助けてぇ……っ!」
一太刀斬られて袖がちぎられ、いま一太刀で頭巾が飛ばされ、もう息も絶え絶えになりながら、清少納言は重い身体を引きずって逃げ回ります。
「この野郎、しぶとい坊主め!」
やがて屋敷じゅうが制圧されたのか応援が次々に駆けつけ、気づけば清少納言は賊徒に完全包囲されてしまいました。
「これならどうだ!」清少納言が破れかぶれに……「さんざん手こずらせやがって!」「往生しやがれ、この生臭坊主が!」
賊徒に全方位から白刃を突きつけられた清少納言は、破れかぶれで袈裟から何から、着ているものをすべて脱ぎ捨ててしまいました。
(どうじゃ!これならば、わぬしらも、わたくしが女性であると判ろうが!)
【原文】(前略)依似法師欲殺之間、為尼之由云エントテ忽出開云云、
【意訳】(清少納言が)法師=男性に似ていたので殺されかけた時、尼=女性であると言い得なかった(どうしても信じてもらえなかった)ので、とうとう開(つび。女性器の別称)を見せたそうな……。
※忽(たちま)ちとありますが、これは「すぐに」の意ではなく「急いで(切羽詰まって)」と解釈。ちょっと疑われたからすぐに出してしまうよりも、追い詰められた末に急いで(仕方なく)出したものと見るのが自然でしょう。
「「「あなやっ!(うゎ、こいつ本当に女性だったのか!)」」」
もはや完全に開き直った老女の裸体を見せつけられた賊徒らは、蜘蛛の子を散らすように逃げ去って行ったそうですが、よほどのトラウマが刻み込まれたことでしょう。
ともあれ命拾いした清少納言ですが、庇護者であった兄を喪ったため、再び糊口をしのぐ貧苦の托鉢に出たのでした。
エピローグ……こんなエピソードが鎌倉時代の説話集『古事談(こじだん)』に残されていますが、その真偽は定かではなく、むしろ
「才能をひけらかした女性は、惨めで不幸な末路をたどるものだ、むしろそうあるべきだ、そうであって欲しい」
と言ったゴシップ的な願望の産物と言えるかも知れません。
今も昔も、有名になればそれだけ嫉妬を買うことも多く、こうした根も葉もないエピソードを創作されてしまうのも、一種の有名税と言えるでしょう。
結果として、陰で妬んでいた者たちは時代の泡沫(うたかた)と消え去った一方、どれだけ妬まれようと才能を発揮し続けた清少納言は、千年の時を越えてその作品が愛され続けています。
【完】
※参考文献:
佐竹昭広ほか編『新日本古典文学大系41 古事談 続古事談』岩波書店、2005年11月18日
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