プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「邪道&外道」究極の成り上がりを体現した名タッグチーム (2/3ページ)
並みの選手ならうろたえそうなアクシデントでしたが、2人はヒール然とした不敵な笑みを崩すことはありませんでした」(プロレスライター)
なお、このとき金村は実際に大やけどを負い、長期欠場を余儀なくされている。同じW★INGでは巨漢の双子タッグチーム、ザ・ヘッドハンターズとも連日のように対戦。体重150キロのムーンサルト・プレスを食らい続ける中で、大型選手への対処法や受け身のスキルなどのプロレス技術を高めていった。
邪道と外道の存在が広く知れ渡ったのは’94年4月、新日本プロレス主催で行われた「スーパーJカップ」に、当時はWARを主戦場としていた外道が折原昌夫の代役として出場し、巧みなテクニックを駆使しつつベスト4にまで進出したことによる。
翌年の同大会ではドス・カラスやワイルド・ペガサス(クリス・ベノア)といった強豪を退け、決勝こそは獣神サンダー・ライガーに敗れたが、その能力の高さを満天下に知らしめた。
★レスラー最下層からの逆転人生
90年代半ば、邪道と外道は冬木弘道とともに冬木軍を結成。再び参戦したFMWでは「ブリーフ・ブラザース」のようなコミカルなキャラを演じつつ、’98年には全日本プロレスに参戦してジャイアント馬場とも対戦している。
「馬場、新崎人生、丸藤正道vs金丸義信、邪道、外道の6人タッグでは、馬場にフルネルソンを極められた外道が、後ろ足で馬場の股間を蹴り上げようとしたところ、股間まで足が届かないという一種の名場面もありました」(同)
なお、この試合後には、馬場のほうから邪道と外道に握手を求めるという異例の一幕があった。それほどまでに馬場は、この2人のセンスを認めていたわけである。
’01年には蝶野正洋率いるTEAM2000のメンバーとなって、新日に本格参戦。ライガー&エル・サムライ組を破ってIWGPジュニアヘビー級タッグ王座を獲得した。TPGの練習生というレスラー最下層から、ついにメジャーのトップに上り詰めたのである。
「それにとどまらず、今では外道が新日のヘッドブッカー、邪道もトレーナーを務めているというのだから、この2人が新日をほぼ掌握しているようなもの。