かけ方わかりますか?かつては「タダがけ」されまくっていた公衆電話の歴史に迫る

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かけ方わかりますか?かつては「タダがけ」されまくっていた公衆電話の歴史に迫る

今でもちゃんとある「公衆電話」

携帯電話の普及により、近年あまり街中で見かけることがなくなった「公衆電話」
「携帯や固定電話がつながらなくなっても繋がる」ということで、災害対策のため、今でも全国に一定数が設置されています。

しかし今や若い世代の中には「公衆電話の使い方を知らない」という人もいるのだとか。

さて公衆電話の歴史は1890(明治23)年、日本国内で電話通信業務が開始されたのと同時に始まりました。当初は電話機や回線を持てる一般家庭はほとんどなかったため、彼らのための公衆電話が電話局内に設置されることとなったのです。

1900(明治33)年になると新橋駅と上野駅の構内にも設置され、翌1901(明治34)年には京橋駅に六角錐型をした「電話ボックス」が初めて設置されました。それ以降、公衆電話は全国に広まっていきます。

「タダ掛け」されまくりで料金回収率なんと15%!?

初期の公衆電話は「自働電話」と呼ばれていました。これは「自動的にかかる」という意味ではなく、電話局員が直接お金を回収しなくても「自動で通話料を回収できる電話」という意味でした。

この電話を使用するときは、電話機の右側にある「発電用ハンドル」を1度回してから受話器を耳にあてて電話交換手を呼び出し、相手の電話番号を伝えてからお金を入れていました。

当時の通話料は市内1通話5分=15銭

10銭や5銭の硬貨を投入すると10銭硬貨なら「チーン」という鐘の音、5銭なら柱時計のような音のゴングが鳴る仕組みとなっていて、その音で交換手が料金の投入を確認して電話をつないでいました。

しかし第二次世界大戦後、インフレの影響で通話料が50銭となり、しかも硬貨が流通不足となって50銭紙幣が使われるようになりました。

公衆電話にも紙幣が使えるものが登場したのですが、それまでの硬貨式の公衆電話に紙幣投入口をつけただけのものだったため、硬貨の音による料金の投入の確認ができなくなってしまいました。

つまりきちんとお金を入れたかどうか、利用者を信じるしかなくなってしまったのです。

この結果「料金を投入せずとも通話ができる」という情報が人々の間に広がり、最終的な料金の回収率は東京で15~20%にまで落ち込んでしまいました。

硬貨の流通で公衆電話も進化!「料金前納式」に

そこで1951(昭和26)年より始まったのが、「赤電話」に代表される「委託公衆電話」でした。

公衆電話のタダ利用を防止するため、本来ならすぐにでも公衆電話を「硬貨投入方式」にしていきたかったのですが、10円硬貨の鋳造が開始されたばかりで流通量があまり多くなかった当時は、紙幣と併用できる公衆電話が欠かせない状況でした。

そこで「公衆電話番の人に側にいてもらい、お金を徴収してもらえるようにすれば良い」ということになり、委託公衆電話第1号が新橋のタバコ屋の店頭に設置されました。

この時の電話機はいわゆる一般的な「黒電話」で、お店の自家用電話のようで目立たず「公衆電話」という認識がされにくかったため、最も目立つ色の「赤電話」に切り替えられていくことになりました。

Wikipedia「委託公衆電話」より

さらに10円硬貨の流通が進むと、硬貨投入方式の公衆電話「青電話」100円硬貨も使用できる「黄電話」なども登場しました。1955(昭和30)年以降はすべての公衆電話が「料金前納式」となり、「タダ掛け」ができなくなりました。

そして1982(昭和57)年になると、テレホンカード式の公衆電話が初めて設置され、その後1994(平成6)年度末までに「赤電話」に代わる一般的な公衆電話となっていきました。

現在ある公衆電話の設置場所は公衆電話 設置場所検索で確認することができます。
災害や予期せぬ携帯電話の故障などに備え、一度お近くの公衆電話の場所を調べてみてはいかがでしょうか?

参考

公衆電話機のうつりかわり(PDF) ザ・歴史トリビア―明治・大正・昭和のへぇー100連発(著:西沢 教夫)/Amazon

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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