かつて日本では桜よりも梅が人気だった時代もあった ー 日本人と花見の文化2

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かつて日本では桜よりも梅が人気だった時代もあった ー 日本人と花見の文化2

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さて、古代において、日本人に愛された桜でしたが、その後、遣隋使や遣唐使などを通して中国文化が入ってくると人々は新しい花を愛でるようになりました。それが梅です。梅の原産地は中国という説が有力で、奈良時代には日本に遣唐使を通して持ち込まれていたとする説が有力です。

中国では主に果実や薬としての人々に利用されていたこの梅は、冬を耐え忍び、寒いうちに花を咲かせます。そのような梅の花の姿が日本人にとって生命力やたくましさの象徴だと考えられるようになっていったようです。

日本で最古の和歌集である『万葉集』にも、梅を詠んだ歌が110首も収録されています。一方で、桜を詠んだ歌は40首ほどしかありません。この時代にいかに、梅が桜よりも人気が高かったかわかるかとおもいます。

ところが平安時代に入ると再び桜のブームが巻き起こります。平安京には、山から桜が植樹されて通りを彩り、とても美しかったと伝えられています。貴族の間でも花見が流行りだすのもちょうどこの時代のことです。

平安初期に書かれた歌物語『伊勢物語』には、「世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」と詠われていたり、平安末期の僧・西行には「願わくば 花の下にて春死なん そのきさらぎの 望月のころ」と詠い、実際その通りに亡くなったと伝えられています。

またこの時代あたりから、朝廷内の権力争いに敗れた自分を散る桜に例える歌も目立つようになるなど、諸行無常の思いと桜とを重ねる歌人も多くなってきました。

江戸時代になると、桜の植樹が全国で進み、花見という風習も庶民の間で広く行われるようになりました。現在、桜の代名詞ともなっているソメイヨシノが誕生したのもこの時代のことです。

さまざまな桜がかけ合わせられ、色合いや咲き方が見事な品種として作り出されたのです。この桜の品種改良を行った植木職人たちが暮らす染井村(現在の東京都駒込周辺)と桜の名所として名高い奈良県吉野山、二つの地名を取って、ソメイヨシノと命名されました。

ソメイヨシノは、明治時代に爆発的な人気を得、各地で植樹が進みました。明治以降に人気が出て植樹が進みました。

参考

小川 和佑 『桜文化と日本人』(2011 竹林館) 小林 祥次郎 『梅と日本人』(2008 勉誠出版)

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