端午の節句でたまに見かけるヒゲおじさんの五月人形「鍾馗」とはいったい何者? (2/3ページ)
「それがしは姓を鍾、名を軌と申し、終南県(現:中国陝西省)の出身でした。かつて建国したばかりの唐王朝に仕官するべく科挙(かきょ。官吏の採用試験)に受験したものの、あえなく落ちてしまいました……」
「一族から大きな期待を寄せられて故郷を出ておきながら、家名を汚してしまったことを恥じて自決したのですが、怨みを遺して死んだために鬼となってしまったのです……」
「そんなそれがしを高祖(唐の初代皇帝・李淵)陛下は大層憐れまれてご供養下さり、無事に成仏することが出来ました。その御恩をかねがねお返ししたいと思ってきたため、こたび高祖陛下の子孫である陛下をお救いした次第にございます……」
話が終わったところで目が覚めた玄宗は、気づくと熱が下がって全快していました。これはきっと、自分の身体(宮廷)に巣食っていた病魔(小鬼)を、鍾馗が退治してくれたことを意味していたのでしょう。
この夢に感じ入った玄宗は、当世随一の画聖・呉道玄(ご どうげん)を招聘して鍾馗の話を描かせました。すると、そっくり夢で見たままの絵姿に仕上がったため、これを魔除けとして臣下に配り、毎年正月になると各家の門扉に貼らせたそうです。
各地に広がり、現代に受け継がれる鍾馗信仰その後、鍾馗の絵姿を飾る風習は(当時絶頂期にあった唐王朝の影響力によって)東アジア各地に広まり、日本では奈良時代末期から伝わる鐘馗寺(しょうきじ。現:愛媛県松山市)の本尊や、平安時代末期に描かれた辟邪絵(へきじゃえ。魔除けの絵)などに残されています。