世界の福本<プロ野球“足攻爆談!”>「梨田とじっちゃんと僕の野球人生」 (2/2ページ)

Asagei Biz

 僕に走られまくるから、敵将の近鉄で監督になった西本のじっちゃんもカリカリしていた。ベンチからは「当て~っ」の声も聞こえてきた。当時のパ・リーグの野球といえば、体を目がけてくるような、えげつない投球が普通にあった。でも、梨田はそういう攻めはしてこなかった。キャッチャーにしては珍しく素直で優しい性格をしていた。

 僕は阪急、梨田は近鉄で西本幸雄監督に鍛えてもらったから、弟弟子のような関係と言える。西本監督が阪急の監督を辞めて、翌年の1974年から近鉄の監督になった時には驚いた。最初は弱かったけど、梨田らが育って強いチームになった。じっちゃんは人を見る目があって、育てるのがうまかった。3球団で8度のリーグ優勝を飾りながら日本一にはなれなかったけど、ほんまの名将やった。

 予定どおり開幕していれば、4月25日のオリックスのホームゲームは、じっちゃんの生誕100年を祝うイベントが行われたはずや。阪急を球団初のリーグ優勝に導いた時の背番号50を選手全員がつけて試合することになっていた。僕が今でも野球の傍らで仕事ができているのは、西本監督のおかげ。メモリアルデーは球場でファンと一緒にお祝いしたかったな。

福本豊(ふくもと・ゆたか):1968年に阪急に入団し、通算2543安打、1065盗塁。引退後はオリックスと阪神で打撃コチ、2軍監督などを歴任。2002年、野球殿堂入り。現在はサンテレビ、ABCラジオ、スポーツ報知で解説。

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