歴代総理の胆力「宮澤喜一」(1)福田赳夫と双璧の秀才 (2/2ページ)
大平が「宏池会」を率いて最も苦境のとき、派閥幹部だった宮澤が泥をかぶり、汗をかくことがなかったことなどから、関係は冷え切っていたのだった。
田中角栄のもとで長く秘書を務めていた早坂茂三(のちに政治評論家)は、筆者に田中の「宮澤評」を、次のように話してくれたことがあった。
「親父(田中のこと)さんは、総理になる前、一度だけ宮澤と酒席を共にした。あとで言っていた。『アイツは食えん。たしかに、秘書官としては第一級だろうが、政治家じゃない。二度と酒は飲みたくない相手だ』と。
政治というものは、そら道路を直せ、橋を造れという地元選挙民の不満を払拭することだとしてきた親父さんだ。対して、そんなことは県会議員がやること、国会議員は世界をにらみながら国のカジ取りをやるべきとしたのが宮澤で、噛み合わなかったということだ。“リベラルな知性派”としての評価もあった宮澤だが、親父さんは突き放して見ていた」
早坂は、宮澤が通産相時代のこじれにこじれた日米繊維交渉を1ミリも前進させることができず、田中が通産相になってあっという間にこの交渉を落着させた例を引き、「田中はあのとき、3000億円のカネを引っ張り出して日本国内の繊維業者を黙らせた。そうした腕力は宮澤にはなかった」と加えた。
■宮澤喜一の略歴
大正8(1919)年10月8日、東京都生まれ。東京帝国大学卒業後、大蔵省入省。昭和28(1953)年4月、参議院選初当選。のち、衆院に転じる。平成3(1991)年11月、内閣組織。総理就任時72歳。内閣不信任案可決で解散、総選挙後、退陣。平成19(2007)年6月28日、87歳で死去。
総理大臣歴:第78代 1991年11月5日~1993年8月9日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。