“ムエタイ・キラー”は格闘技ジムの「あるべき姿」と向き合っている(前編)
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格闘技
バナー題字・イラスト/寺田克也
国内外で複数のベルトを腰に巻き、ムエタイの本場・タイでもランカーをTKOするなど、現役時代は“ムエタイ・キラー”と名を馳せた鈴木秀明。現在は自らのジムで代表を務め、プロ・アマを問わず指導にあたっている。非常事態宣言が解除されるも、東京アラートが発令されるなど、予断を許さない状況のなか、ジムをリスタートさせた鈴木に今の気持ちを聞いた。
最近、鈴木秀明は白髪が目立って増えた。理由を考えると、ひとつしか思い浮かばなかった。COVID-19だ。東京・押上で代表を務めるキックボクシングジム「STRUGGLE」(ストラッグル)の運営について、あれこれ考えるうちにそうなってしまったのだ。
鈴木は「いまは答えのない中でジムの運営を模索している」と打ち明けた。そうなるのも無理はない。新型コロナウイルスは格闘技&武道系のジムや道場を恐怖のどん底へと陥れた。濃厚接触競技であるがゆえに、大半の施設は臨時休業に追い込まれたのだ。時短営業やプロ練習のみ認めているところもあるが、マスク着用や手洗いは徹底せざるをえない状況が続く。
もっとも、除菌については情報が錯綜している面もあり、いずれのジムも対応に苦慮している。当初はコロナの消毒に有効とされた次亜塩素酸水も一度「有効ではない」という報道がなされるや、使用を取りやめる施設が続出した。しかし、その後、有効ではないとする報道を逆に疑問視する声も出ており、正しい答えはいまだ出ていない。
3密を避けて、十分な間隔をあけてのトレーニングを行っている
■コロナ対策に知恵を絞りつつも営業再開
6月2日、鈴木はあらゆる知恵を絞りながらSTRUGGLEの営業を再開した。
「コロナ前までは会員の皆さんに好きな時間に来ていただき、思い切り動いてもらう。あるいはそれぞれのペースに合わせて身体を動かしてもらっていました。しかし今回再開するにあたり、人数制限をするために予約システムを取り入れました」
6月上旬の時点で一度に練習できる人数は最大6名。ジムは約59坪もあるので、この人数なら3密になる心配はない。
「1時間に1回は換気して、空気を入れ換えています。さらに会員さんが触れるドアノブなども定期的に拭くようにしています」
練習中、マスクは会員もスタッフも必要不可欠なアイテムとなった。
「非常事態宣言が発令され休業するまではスタッフ陣は着用していたけど、会員さんには義務付けてなかったんですよ。また今回再開するにあたりミット打ち(トレーニ ング)も少しはやりたいと思い、ひとり2ラウンドまでと制限を設けな がら打ってもらうことにしました。長時間一緒にいたらリスクは高まる。その中で人を入れ換えたりしてやっていけばいいかと」

サンドバックなどの練習器具は、使用後はもちろん定期的に丁寧に除菌している
当初は練習時間を60分にしようと思ったが、いろいろ考えた末に90分に設定した。「ウチの会員さんは昔からという人が多い。そうなると、スタッフと『最近どうですか?』といった雑談をする時間も欲しい。ある種生存確認のような会話だけど、これは精神衛生上いいと思う。近距離、あるいは長時間の会話はNGですけどね」
フリーレッスン制から予約レッスン制への移行には一抹の不安があったが、予想以上に予約する人は多い。
「いまの状況だと6名は余裕なので、もう少し予約の枠を増やそうかと計画しています。ただ、その矢先に東京アラートが発令されたので予断は許されない。状況に応じて動く人はマスクをとってもらったり、人数を増やすことを考えていきたい」
時間が経つごとに疑問も増えてくるが、鈴木は慌てて結論を出そうとは思っていない。今回の新型コロナに対しては誰もハッキリとした状況がわかっていないからだ。
「いまはこうではないかという推論に対して、『だったらこうするのがベストではないか』と自分の意見をすり合わせていくのが最善かなと」
■ジム会員だけでなく会員の家族も大切に
STRUGGLEを設立して以来、鈴木には不変のポリシーがある。「格闘技を通して会員さんたちに幸せになってほしい」という願いだ。その思いは会員の家族にもつながっている。「だからこそコロナ禍であっても、会員さんの家族には安心してほしい。世間はこういう状況だけど、『STRUGGLEはここまでケアをしてくれている』と思ってもらえたら、安心して家族をジムに送り出せるじゃないですか」
ハッと気づかされた。コロナ社会の中、ジムワークは個人の問題ではないということを。鈴木は言葉を続けた。
「家族がジムに行くことでの感染リスクを考えると、残された人たちは不安になる。だったら不安をかかえたまま練習してもらうのではなく、安心して動いてもらえる環境を作るしかない。ジムの方針として会員だけではなく、その人の家族も安心できる場所になることが一番なのかなと思いますね」
その一方でコロナをきっかけに、鈴木はジムのあり方に大きな変化を感じている。
「今までは会員さんに強くなってもらうためにキックボクシングの技術を教えたり、ミットを持つことが主軸だった。でも、いまは密に教えるということができなくなってきているので、道具の整理や換気や消毒の徹底の比重がものすごく高くなってきている」
■格闘技を通して健全な社会を
コロナ禍の最中、STRUGGLEは創立14周年を迎えた。鈴木は「人生、本当にいろいろなことがある」と激動の人生を振り返る。
「阪神大震災の時には(現役選手として所属していた名古屋JKファクトリーのある)名古屋にいました。上京してからは東日本大震災に遭遇し、電信柱が揺れるのを目の当たりにした。あの時は自分が生きている中でこれ以上の災害に遭うことはないと思っていたけど、コロナは完全にそれを越えてしまった」
コロナは人間関係にもひずみを起こしていると感じている。
「対処法がハッキリとわからないので、みんな何をしたらいいかわからない。そういう中で人を疑ったり、誹謗中傷に走ったりする人も出てきた。人が人を信じられない社会で生きることはものすごく悲しい」
鈴木は中学時代に不登校を経験。自宅に籠もり、漫画やゲームに没頭するような少年だった。しかし高校時代にキックボクシングと出会い、孤立しがちだった人間関係は劇的に変化したという。
「キックを通して、初めて仲間や応援してくれる人がいることを知りました。いまはAIの時代になったけど、生きていくということは最終的には対人間だと思うんですよね」
痛みとともに感動、勇気、そして喜びを分かち合えるキックボクシング。だからこそ鈴木はこの競技を通して格闘技の素晴らしさを世に伝え、人が人を信じられる健全な社会に再生されることを切に願う。
「マスクをつけてもらったら会員さんはみんな苦しいというけど、その一方で『やっぱりキックをやることはうれしい』とも言ってくれる」
取材は真夜中だったが、電話ごしにSTRUGGLEに集う会員たちの笑い声がかすかに聴こえた気がした。
後編では、ジムを代表する選手の1人、ぱんちゃん璃奈の近況を中心にお伝えする。
(取材・文=布施鋼治)
鈴木秀明
鈴木 秀明(すずき ひであき)
1976年1月1日生まれ。愛知県瀬戸市出身。ムエタイ&キックボクシング「STRUGGLE」代表。90年代を代表するキックボクサーの1人で、現役時代は“ムエタイ・キラー”と呼ばれ、全日本フェザー級、NJKFフェザー級の他、国内外のベルトを腰に巻いた。2000年に引退、スポーツインストラクターを経て、自らのジムをオープン。理論派としても知られ、専門誌等での技術解説でも活躍中。現役時代の戦績は、27戦18勝(9KO)6敗3分。
布施 鋼治(ふせ こうじ)
1963年北海道生まれ。スポーツライター。レスリング、ムエタイなど格闘技全般を中心に執筆。最近は柔道、空手、テコンドーも積極的に取材。2008年に『吉田沙保里119連勝の方程式』(新潮社)でミズノ第19回スポーツライター賞優秀賞を受賞。他に『なぜ日本の女子レスリングは強くなったのか 吉田沙保里と伊調馨』(双葉社)など。2019年より『格闘王誕生! ONE Championship』(テレビ東京)の解説を務めている。