天才テリー伊藤対談「佐藤蛾次郎」(1)俳優になって金と仕事の苦労がない (2/2ページ)

アサ芸プラス

佐藤 自分で言うのも何だけれど、若い頃は親父に「お前は頭がいいから、俺の跡を継げ」なんて言われたこともあった。でも、勉強するのは嫌いだったからね。

テリー で、9歳の頃に児童劇団に入って。

佐藤 そう、朝日放送児童劇団。おふくろに連れられて行ったら、なぜか受かっちゃった。そこでずっと、演技の勉強なんかをしていたんです。

テリー そこから子役として活躍するようになって、フジテレビのドラマ「神州天馬侠」(61年)に出た時の役名から「蛾次郎」をもらったんですってね。

佐藤 そうそう、「泣き虫蛾次郎」という役でした。僕の本名は佐藤忠和なんですが、監督が「その名前は役者らしくない。蛾次郎をもらえ。こんないい名前はないぞ、なんといっても吉川英治が考えたんだぞ」なんて言われてね。

テリー ハハハ、吉川英治さんが原作のドラマだからね。確かに印象には残る名前ですけど、抵抗はなかったんですか。せっかくつけるんだったら、もっと二枚目ぽい名前のほうがよくないですか。

佐藤 どうせ役者になるんだったら、目立つほうがいいからさ。あと、泣き虫蛾次郎も本当にいいキャラクターだったので。それからあとも、NHKのドラマでよく使ってもらえたし。「開化探偵帳」(68~69年)は明治時代の刑事役を演じたんだけど、わざわざ原作・脚本の島田一男先生がリハーサルに来てくれて「頼むぞ、蛾次郎くん」と声をかけてくれたのがうれしかったなァ。

テリー しかし聞いていると、トントン拍子で順風満帆な人生ですね。

佐藤 そうなんですよ、ホント、恵まれている。医者の息子だからお金に困ったこともないし、子役時代からずっと仕事も続いているから、芸能界の苦労話もないんですよ。

テリー 意外というと何ですが、どうしても蛾次郎さんは「男はつらいよ」の源公のイメージが強いから、どうも調子が狂っちゃいますよ。

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