オスマン帝国の近代化に貢献したマフムト2世とは?イスタンブール旧市街の霊廟「マフムト2世の霊廟」 (2/3ページ)

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マフムト2世の時代のオスマン帝国では、イエニチェリはセリム3世が編成していた洋式軍の再建を試みていた大宰相アレムダル・ムスタファ・パシャを殺害するなどして、反西洋化改革勢力として権力を振るっていました。

これに対して1826年、マフムト2世は新軍団設立を宣言してイエニチェリを挑発し、新式の装備を整えた砲兵隊がイエニチェリを一掃しました。マフムト2世は、新軍に「ムハンマド常勝軍」という名を付け、帝国の西洋化に貢献したのでした。

また政治の面では、大宰相の権力を縮小するとともに、外務大臣や内務大臣、財務大臣といった大臣職を置き、オスマン帝国の伝統的な政治体制を西洋式の内閣制度に近づけました。教育の分野では、軍医、音楽、士官学校を創設し、優秀な人材は西洋に留学させました。彼らはのちのエリート官僚層を形成し、オスマン帝国を近代化に寄与したのです。

様々な分野で、帝国の西洋化、近代化を進めたマフムト2世は、のちにドルマバフチェ宮殿やベイレルベイ宮殿、チュラーン宮殿といった西洋風の建築物をイスタンブールに造らせたアブデュルメジト1世とアブデュルアジズの父親でもあります。

このように帝国の進歩に寄与したマフムト2世が眠る霊廟は、旧市街の活気に満ちた大通りに面しながらも、一歩足を踏み入れると、静かで厳かな空間に満ちています。美しい霊廟内には、彼の業績を称えるかのような西洋風の装飾が施されています。窓枠の造りや天井の装飾がそれを象徴しているのがわかるでしょう。天井から吊るされた豪華絢爛のシャンデリアは、イギリスのヴィクトリア女王からの贈り物です。

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