江戸時代、天然痘によりわずか6歳で世を去った露姫が、父への遺書にしたためた「一生のお願い」

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江戸時代、天然痘によりわずか6歳で世を去った露姫が、父への遺書にしたためた「一生のお願い」

「お願い……もう一生のお願い!」

子供の頃、日常のさまざまなシーンで繰り出された「一生のお願い」。あえて一生と冠するのだから、それこそ生涯で一度きりの重大なお願いなのかと思いきや、週に一度は当たり前、中には一日で五度も六度も発動させるツワモノもいました。

そんなしょうもない話はさておき、昔の人も当然お願いごとをしたわけですが、そこには数々のドラマがあったようです。

今回はそんな一つ、江戸時代を生きた露姫(つゆひめ)の「一生のお願い」を紹介したいと思います。

天然痘にかかり、6歳で亡くなった露姫

露姫は江戸時代末期の文化十四1817年、因幡国若桜(わかさ。現:鳥取県若桜町)藩主・松平冠山(まつだいら かんざん。池田定常)の十六女として生まれましたが、文政五1822年11月27日、天然痘で亡くなってしまいました。

病床の露姫(イメージ)。

享年6歳という幼さで、法名は浄観院殿玉露如泡大童女。まさに泡の如く儚い生涯でしたが、彼女のしたためた遺書によって、その名を後世に伝えしめたのです。

現代でこそ根絶された天然痘ですが、その死亡率は非常に高く、特に抵抗力の弱い子供は一度かかったら最後、数日の内に死ぬか、助かっても身体に痘痕(あばた)を残す難病でした。

身の回りで子供たちがよく死んでいたから、自分もかかったと知った時に覚悟を決めていたのでしょう。両親を悲しませぬようこっそりと遺書をしたため、机の中に忍ばせておいたようです。

遺書は4通。父と母と侍女(2名分)、そして辞世の句がそれぞれ綴られていました。

父への手紙

露姫の遺筆。

於いとたからこしゆあるな つゆがおねかい申ます めてたくかしこ

於とうさま

まつたいらつゆ

上あけるつゆ

【意訳】
老年(おいとし)だから御酒(ごしゅ)は呑まないで下さい 露がお願い申します めでたくかしこ
お父様へ
松平露

最後の「上あける」とは、他3通の遺書をこの遺書で包んでおり、「上を開けて中を読んで下さい」という取説になっています。

冠山は酒豪で知られていましたが、同時に酒癖も悪かったのか、母をはじめ親しい人々がよほどの迷惑を被っていたのかも知れません。

「パパ、もうお酒はやめて!これ以上、ママやみんなを悲しませないで!」

露姫の悲痛な「一生のお願い」にショックを受けたようで、反省した冠山はキッパリと断酒。それっきり終生酒は呑まず、可愛い末娘の思いに応えたとの事でした。

母と侍女たちへの手紙

まてしはし なきよのなかの いとまこい むとせのゆめの なこりおしさに

おたへさま

つゆ

【意訳】
ちょっと待って下さい。お母様(側室・お妙の方)にお別れを告げたいの。夢のように短い六年間の名残を惜しませて下さいな……
お妙様へ
つゆ

これは冥途への「お迎え」に来た死神に対するメッセージで、「もうちょっとだけ待って」と名残を惜しむ情景が胸に迫ります。

本当は父親へ宛てたように、率直なメッセージを書きたかったのかも知れませんが、ちゃんと和歌に整える辺り、男親と女親とで心理的な距離差を何となく感じます。

たつ、ときへの遺書。「(つか)われし いくとしへてもわすれたもふな」の部分。

ゑんありて たつときわれに つかわれし いくとしへても わすれたもふな

たつ とき さま

六つ つゆ

【意訳】
縁あって私のお世話をしてくれたこと、私は忘れない。だから「たつ」も「とき」も、ずっと忘れないでいてね……
たつ様 とき様
6歳 つゆ

この「たつ」と「とき」は、きっと露姫付きの侍女として仕えてきたのでしょう。人間、死ぬ時に何が一番辛いかと言って、忘れ去られてしまうことを、幼な心に知っていたようです。

「えぇ、えぇ……姫様のことを、忘れたりするものですか……」

主従とは言え、家族のように過ごしてきた日々は、彼女たちにとってもかけがえのない思い出となった事でしょう。

辞世の句に広がった感動の輪

十いちかつ こきうそくてかく(11月、御休息の間で書く)

おのかみの すえおしらに もふこてう(己が身の 末を知らずに 舞う胡蝶)

つゆほとの はなのさかりや ちこさくら(露ほどの 花の盛りや 稚児桜)

あめつちの おんはわすれし ちちとはは(天地の 恩は忘れじ 父と母)

六つ つゆ

家族への遺書をしたためる露姫(イメージ)。

6歳の幼さで、ここまで家族のことを想い、その末を案じていたとは……冠山は感動のあまりに親バカ?を発揮。露姫の遺書を木版画に刷らせて知人友人に配布したところ、各地の大名や学者から哀悼の和歌や詩文が1,600作も寄せられたそうです。

また、家臣に命じて露姫の伝記『玉露童女行状』を編纂させ、寄せられた詩歌などを『玉露童女追悼集』にまとめて江戸の浅草寺(せんそうじ。現:東京都台東区)に奉納しました。

先立つ不孝を詫びつつ、遺される者たちの幸せを願う……拙くも心を込めて綴られた露姫の思いは、今なお人々の胸を打ち続けます。

※参考文献:
森銑三『随筆百花苑 第七巻 風俗世相篇』中央公論社、1980年5月

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