ガチ直撃!安田忠夫が明かした「道場最強レスラー」「恩師・猪木との関係」 (2/2ページ)
新日本が強いのなんのと言うかもしれないけど、もしかしたら全日本プロレスの人のほうが強かったかもしれないし、ただそういうスタイルを売っていただけ。
新日本の道場でやっていたことって寝技からだけなんで、総合格闘技のように立ち技からやったら結局、通用しなかったじゃない。それこそ今から25年ぐらい前にはっきりした。藤原さんは、その当時の周りにいる人には強かったかもしれないけど、結局、グレイシーとか来るようになって、日本人は腕ひしぎとか入り方が2つくらいしかなかったのよ。でも、ノゲイラとかそうじゃない。下にいて攻められているはずなのに、キメられちゃう〉
はたして安田の真意をあらためて尋ねると、「別の競技を同一に論じるのはナンセンス」と一笑に付す。
「よく『道場では誰が強かったですか』と聞かれるけど、僕がいた当時では、石澤(常光=ケンドー・カシン)とか藤田(和之)はずば抜けてましたよね。石澤クラスのレスリングで全日本チャンピオンになった人の実力は半端ではない。その点では、中西(学)も強いですよ。ただ人から聞いた話では、それこそ、猪木さんが『総合やるか』と言ったら『1年ください』と言った瞬間、猪木さんが『バカか』と言ったって話もあるほど。そういう天然なところはあるかもしれない。その点、俺は猪木さんに『いけるか』って言われたら直立不動で『はい』の即答でした。でも僕は、道場でも落ちこぼれだった。寝技でスタートすると、柔道とかの経験がないからキメきれない。かつて『真壁事件』というのがあって、新弟子で入ったばかり真壁(伸也=現・刀義)とスパーリングした時に、まったくキメられずに橋本さんから『ヤス、何やってんだ』とどなられたほどでしたよ」
結果、安田の総合格闘技での成績は2勝4敗。記録よりも記憶に残るレスラーとなったのだ。
安田といえば、総合のリングに上がることで一躍脚光を浴びたが、その立て役者こそ、アントニオ猪木にほかならない。しかし、先の「安田忠夫の人生劇場」では「くそじじい」と連呼するなど、かつての「恩師」にも容赦ない。
「猪木さんは俺とか石澤君を総合に送り込んで結果を出せたのは、そういうレスラーでも総合に向いている選手を見いだす才能があったからだと思います。中邑真輔しかりですよね。結果的に、俺の場合は試合のギャラをピンハネされたんで、当時の猪木事務所の社用車のタイヤ分くらいは稼いだかなと思うんですよ。本体は藤田君だと思いますが(笑)。猪木さんは、俺から見ればプロデューサー。興行って、当たることもあれば外れることもあるんですよ。どんな人だってずっと当たってたことはないですよ。それが変な方向に続いて変なことになったのが新日本の暗黒時代だった。かつて右腕だった新間寿さんが言った言葉があるじゃないですか。『アントニオ猪木はすばらしいけど、猪木寛至は最悪だ』。あれじゃないですか」
これからもユーチューバーとして、ファンのさまざまな質問に答えていくというから、戦々恐々とする関係者も少なくないだろう。