滅亡した主家再興に生涯を捧げ”山陰の麒麟児”と呼ばれた武将「山中幸盛」の伝説【その3】 (2/2ページ)

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若狭鬼ヶ城(わかさおにがじょう)跡の遠景(Wikipediaより)

順調に支配圏を拡大していた再興軍であったが、山名豊国の裏切りや山名家と毛利家の和平交渉などにより支城を奪い返され、因幡国「若桜鬼ヶ城(わかさおにがじょう)」に拠点を移した。

毛利軍は50000近くの軍を投入し若狭鬼ヶ城を包囲。再興軍は奮戦し毛利本軍を撤退させることには成功したものの、因幡国において再興軍を支援する後ろ盾はなく、完全に孤立化。

1576年、再興軍は若桜鬼ヶ城を放棄し因幡国から撤退。こうして第二次尼子再興運動も失敗に終わった。

【幸盛の武功】

1574年の美作国(現在の岡山県)にあった高田城の防衛で功績を上げ、連携を図っていた大友氏から戦に必要な物資の支給を受けている。

信長との関係性

幸盛は二度目の再興運動に際して、織田軍に加勢を求めていたと考えられており、再興軍の裏には織田信長の後押しがあったとされている。備前国(現在の岡山県)の浦上氏などは信長による助力によって再興軍と連携をとっていた可能性が高い。

第二次尼子再興運動が失敗に終わったのち、因幡国より撤退した幸盛は織田信長を頼り上洛している。 信長は中国攻めのために兵力が必要で、尼子家再興を目的とする幸盛と利害が一致した。こののち幸盛は、織田軍の元で尼子家再興に尽力していくこととなる。

【その4へ続く】

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