戦国時代の天下人・豊臣秀吉を支えた5人の大名「五大老」たちの明暗【前編】 (3/3ページ)
家康の対抗馬とされていた五大老「前田利家」(Wikipediaより)
関ヶ原へ1600年に起こった関ヶ原の戦いは「豊臣」と「徳川」の争いと思われがちだが、名目上は豊臣家臣による内輪もめであり、「徳川」と「反徳川」の戦いといった趣が強かったと考えられている。
家康の対抗馬とされていた前田利家が1599年に死亡すると、変わって「石田三成」が反徳川の急先鋒となる。しかし三成には、過去の朝鮮出兵や豊臣秀次粛清の件で豊臣政権内に反発勢力が一定数存在しており、反徳川として豊臣家臣団を一枚岩に結束できる求心力はなかった。
日本は徳川に味方する「東軍」と、反徳川で結成された「西軍」に別れ決戦となる。この頃になると五大老体制は崩壊しており、前田家は徳川方へ、残りの三家は反徳川方へ加担している。
この判断が、後の五大老に列席した大名たちの運命を分けることとなった。
【その2へ続く】
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