明治時代、二宮尊徳を超える財政システムを追求した渋沢栄一と西郷隆盛
令和三2021年放送予定の大河ドラマ「青天を衝け」で主人公を務める渋沢栄一(しぶさわ えいいち)は、幕末維新を駆け抜けて近代日本の礎を築き上げた数々の功績によって「日本資本主義の父」と呼ばれています。
さて、そんな栄一が若き大蔵官僚の一人として財政改革に心血を注いでいた青年時代、彼の元を一人の大物が訪ねて来たのでした……。
相馬藩から「興国安民法」存続の陳情「ごめんなし。しぶさぁどん、おいやしか(意:御免下さい。渋沢さん、ご在宅ですか……以下標準語)」
時は明治四1871年のある日、神田猿楽町(現:東京都千代田区)にあった栄一のあばら家にやって来たのは西郷隆盛(さいごうたかもり)。
まるでご近所さんみたいなノリでやって来ましたが、木戸孝允(きど たかよし。桂小五郎)や大久保利通(おおくぼ としみち)と並ぶ「維新三傑」の一人として知られる西郷さんは、明治政府の最高官である参議(さんぎ)を務めています。
一方、大蔵大丞(おおくらたいじょう※)に過ぎなかった栄一は「こんな若輩者のところへ、ようこそおいで下さいました……」と恐縮してしまいました。
(※)現代の感覚に当てはめるなら、大蔵省の事務次官といったところでしょうか。決して低くはない役職ですが、いかに参議の権威が強かったかが察せられます。
「……それで、本日はどう言ったご用向きで?」
「うむ。相馬(そうま。現:福島県浜通り北部)藩のことなんじゃ……」
その才智で多くの人々を救った二宮尊徳。Wikipediaより。
相馬藩には、かつて二宮尊徳(にのみや そんとく。金次郎)が財政改革のために定めた「興国安民法(こうこくあんみんほう)」というローカルなシステムがあり、その存続を陳情されたとの事でした。
ちょうど栄一たちは明治政府の財政改革を進めており、財政システムの全国化を図るべく、それまで藩ごとにまちまちだったローカル・ルールの撤廃に乗り出していたのです。
「相馬藩の連中から『西郷さんから、どうにかお願いして下さらんか』と頼まれてな。話の分かりそうな渋沢さんから、大久保や大隈(重信)、井上(馨)らを説得して欲しいんじゃ」
なるほど……栄一は内心で苦笑します。いかにも頼まれれば断らない西郷さんらしい。と言って、連中を説得する理論武装はない……だから、こうして与(くみ)しやすそうな自分を頼って来たのか、と。
「……お話は伺いました。時に西郷さん、あなたは二宮先生の『興国安民法』について、どんな法律かご存じでしょうか?」
栄一、西郷さんに「興国安民法」を解説栄一が訪ねると、西郷さんは真にキッパリ「まったく知らん」と答えます。
知らんものを「廃止するな」と陳情するとは、理屈が通らない話ではあるが、恐らく西郷さんのこと。他でもない自分を恃みにした以上、その善悪は度外視して必ず応える。そういう信念があるのでしょう。
その上で、必要とあらば自分のような目下(めした)の者であろうと、謙虚に頭を下げ、教えを乞うことを厭わない……その大器に呆れ半分、感心半分で、こんなこともあろうかと調べておいた「興国安民法」を西郷さんに教えたのでした。
【渋沢栄一がざっくり解説!興国安民法】
一、過去180年間における藩の収入統計を作成する。
一、その180年間を60年ずつ「天・地・人」の3期間に分割する。
一、「天・地・人」それぞれの平均収入額を算出する。
一、3期間の平均値を比較し、中央の値を「藩の標準収入額」とする。
一、今度は180年間を前後90年ずつ「乾(けん)・坤(こん)」に2分割する。
一、「乾・坤」それぞれの平均収入額を算出する。
一、それを比べて、低かった方の数値を「藩の支出限度額」とする。
……全体を三つに分けた内の中央値を収入額、二つに分けた内の低い値を支出額と設定することで、収入>支出となるように計らったというものです。
説明を聞いた西郷さんは「……さっぱり珍紛漢紛(チンプンカンプン)じゃが、要するに『入るを量りて出ずるを為す(収入を元に支出を管理せよ)』という事じゃろう」と、エクストリームに納得。
「まぁ……とりあえず、そういう解釈で大丈夫です(この人に経済の詳しい理論を話しても解らないだろうし、そもそも話の本質ではないし)」
「……であればまことに結構な法律であるからして、廃止するには及ぶまい」
「いかにも、西郷さんの仰る通りです……」
お、あっけなく論破か?あまり口が達者でない西郷さんが、経済通の栄一を説得できたかと思ったのですが……。
よりよい知恵を結集し、日本国全体に活かしたい「……が、西郷さんは情の篤さゆえ、相馬藩ばかりにとらわれ、国家全体のことを見逃しておいでではありませんか?」
栄一は話を続けます。
「確かに、この興国安民法はさすが二宮先生と言える素晴らしいシステムです。だからこそ、私たちはこうした各地の知恵を結集して、日本国全体に活かしたいのです」
「ふむ」
「名称こそ変わっても、その思想や運用は興国安民法と同レベルか、それ以上に改良した財政システムを日本国全体で適用したい……西郷さんであれば、お解り頂けますな?」
「……ふむ」
それですっかり納得したようで、西郷さんは静かに一礼すると、栄一のあばら家から出て行ったのでした(その後、西郷さんは自分に陳情してきた者たちをきちんと説得したという事です)。
終わりに普通、政府高官である西郷さんが、わざわざ一官僚に過ぎない栄一のところまで出向いたのだから、「手ぶらで帰らせる訳には行かない」と忖度してしまいそうなものですが、栄一はそれをせず、道理をもって納得せしめました。
対する西郷さんも「参議である俺様が、わざわざ出向いたのに!」などと怒るようなこともなく、道理が通じれば面子にこだわらず、あっさりと引き下がる。これはいずれも、簡単に出来ることではありません。
忖度なしで道理を通した渋沢さんと、それを受け容れる大器をもった西郷さん。Wikipediaより。
一部の利益にとらわれることなく、天下の公益を追求した二人だからこそ通じ合えた気持ちのよいエピソードは、現代の政治家たちにも見習って欲しいものです。
※参考文献:
渋沢栄一『現代語訳 論語と算盤』ちくま新書、2010年2月
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan