矢野浩二 8年間の「森田健作の付き人&議員秘書」時代で青春はなかった? (2/3ページ)

アサ芸プラス

矢野 それで上京して、アルバイトをしながら養成所に通ってたんですけども、鳴かず飛ばずだったので、どなたかの付き人をやろうと思って。それで、たまたま「森田健作の熱血テレビ」(91年4月~9月、テレビ朝日系)というワイドショーを見て「あ、この人に付こう」と。それから8年間、森田健作の付き人をやってました。

テリー MCの森田さんを見てって、珍しいですよね。青春ドラマを見てとかならわかりますけど。

矢野 たぶん僕ぐらいでしょうね。年代も違いますし。リアルタイムではないですが、青春ドラマは見てましたけどね。

テリー あ、そう。「おれは男だ!」(71年~72年、日本テレビ系)とか? 青葉高校・剣道部の小林弘二ね。

矢野 そうですね。僕、10回ぐらい芸名を変えてるんですけど、一時期、同じ「矢野弘二」でやってました。

テリー 僕、実は今、森田健作と超仲いいんですけど、確かその頃だと、すぐ国会議員になりますよね。

矢野 そうなんですよ。初めて当選されたのが92年の参議院選で。僕が付き人になって、1年後です。

テリー じゃあ、付き人というか、議員秘書みたいな?

矢野 秘書兼運転手ですね。秘書の通行証みたいなものをもらって、議員会館はフリーパスでしたから。

テリー その時、やめようとは? だって役者になりたかったわけで、永田町は関係ないでしょう。

矢野 最初はTシャツにジーパンだったのに、いつの間にかスーツにネクタイで運転していて、「俺、こんなはずじゃなかったのに」とは思ってましたね。ただ、森田さんに付こうと決めたのは自分だし、職種が変わっても、やっぱりこれは続けるべきかなと、自分を納得させてました。

「矢野浩二 8年間の「森田健作の付き人&議員秘書」時代で青春はなかった?」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2020年 9/3号矢野浩二森田健作秘書テリー伊藤エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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