関東と関西の境目は「岐阜県関市」にあった? 30年前の「宣言」がネットで話題に→市役所に真相を聞いてみた (2/2ページ)

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京都から飛騨に通じる交通の分岐点として栄え、「関所」が置かれたことから「関」という地名になった。

そして、関市は日本列島のほぼ中心に位置。また、1990年(平成2年)の国勢調査では、人口重心地が岐阜県郡上郡美並村(現・郡上市)に存在したことも要因の一つになったそうだ。

ここで気になるのが、人口重心地が美並町にあったことと、関市の宣言の関係性。担当者に聞いてみたが、詳細はわからなかった。

ただ、2005年に合併した旧・美並村と、04年に合併した旧・関市は、美濃市を挟んで比較的近い場所に位置しており、それが関係しているのではないかと担当者。

なお、05年、10年、15年の国勢調査における人口重心地は関市の武儀地域だ。

関市は関東or関西?市の回答は...

関市が設置したのは、実はモニュメントだけではない。近くには「W・Eセンターポールせき」と呼ばれる、高さ8メートルのポールが立っている。

W・Eセンターポールせき(画像は関市観光課提供)
W・Eセンターポールせき(画像は関市観光課提供)

担当者によれば、ポール上部の球体は鳥の心臓部を表現。球体を貫く細いパイプは、「関東ライン」と「関西ライン」を示しているという。2つの細いパイプラインは球体の中で交差し、東西の文化が交流する様を表しているそうだ。

ツイッターでは「元関市民だけど知らなかった」とのコメントも見られたこの宣言。関市民はこの宣言をどのように思っているのだろうか。担当者に聞いてみると、

「小さいころから日本の真ん中にある市という認識はあると思います。ただし、残念ながらこの宣言についてはあまり知られていないのが現状です」

とのことだった。残念。

ちなみに東西の分岐点というのはあくまで宣言であり、「関東」「関西」の語源ではないと担当者。ツイッターでも散見された「関市は関東か、関西か」という問いに対しては、

「岐阜がどっちつかずなので、難しいです。関西の文化ではないし、どちらかといえば関東でしょうか。でも周囲の人とは、やっぱり中部だよねという話をしました」(担当者)

...やはり関東・関西の区分は、一筋縄ではいかないようだ。

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