2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」北条義時以外の構成メンバーは?その顔ぶれを紹介!

Japaaan

2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」北条義時以外の構成メンバーは?その顔ぶれを紹介!

令和4(2022)年放送予定の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。そのキャスティングが次々と発表されて話題となっています。

しかし「中の人(俳優・女優)」ばかりでなく、その演じている役どころについても多少なりとも予備知識があると、よりドラマを楽しめるのではないでしょうか。

脚本 三谷幸喜、主演 小栗旬!2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第一次出演者が発表

そこで今回は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の元ネタである鎌倉幕府の合議制を構成した御家人たちを紹介したいと思います。

鎌倉殿の11/13人を一気に紹介!

既にご存じの方も多いかと思いますが、まずは13人の合議制を構成した御家人たちの顔触れはこちら(50音順)。

大江広元(おおえの ひろもと)
足立遠元(あだちの とおもと)
安達盛長(あだちの もりなが)
梶原景時(かじわらの かげとき)
中原親能(なかはらの ちかよし)
二階堂行政(にかいどうの ゆきまさ)
八田知家(はったの ともいえ)
比企能員(ひきの よしかず)
北条時政(ほうじょうの ときまさ)
北条義時(ほうじょうの よしとき)
三浦義澄(みうらの よしずみ)
三善康信(みよしの やすのぶ)
和田義盛(わだの よしもり)

この内、主人公である北条義時とその父・時政については改めて語ることもないでしょうから、残る11名についてざっくりと紹介して行きましょう。

大江広元(久安四1148年~嘉禄元1225年)

大江広元。Wikipediaより。

早くから頼朝公に従っていた兄・中原親能に従って鎌倉入り。頼朝公のブレーンとして朝廷や公家たちとの交渉役を務めたり、全国に守護や地頭を設置することを献策したりなど、外交・政治分野で活躍しました。

クールな頭脳派として知られ、成人してよりこの方「涙を流したことなどない」と啖呵を切ったそうですが、承久の乱(承久三1221年)に際しては朝敵となることを恐れた鎌倉武士たちを叱咤激励するなど、内に秘めた情熱を垣間見せるシーンもあります。

足立遠元(生没年不詳)

武蔵国足立郡を本拠地とした豪族で、平時の乱(平治元1160年)では頼朝公の父・源義朝(よしとも)に従って戦いましたが、武運拙く敗れ去ってしまいます。

しかし二十年の雌伏を経た治承四1180年、頼朝公が挙兵した際には真っ先に従って関東平定に功績を上げた文武両道の士として知られました。

最古参の一人として幕府の中でも存在感を発揮しましたが、いかんせん高齢のため、頼朝公の後を追うように亡くなったと見られています(最後に名前が出ているのは承元元1207年)。

安達盛長(保延元1135年~正治二1200年)

安達盛長(出家後)。Wikipediaより。

頼朝公の流人時代から仕え、挙兵に際して各地の武士団を誘うなど外交方面で活躍。『曾我物語』によれば、頼朝公と北条政子との仲を取り持ったとも言われています。

長い付き合いもあって頼朝公から篤く信頼され、何かあるとしばしば私邸を訪ねたそうで、もしかしたら政子の愚痴でもこぼして(聴いてやって)いたのかも知れません。

そんな盛長だからさぞや出世したことだろうと思いきや、生涯を通して官職につくことはなく、無欲であったことや、そして頼朝公とフラットな主従関係を保ちたかった気さくな人柄が察せられます。

梶原景時(保延六1140年~正治二1200年)

梶原景時。Wikipediaより。

頼朝公の懐刀として辣腕を奮い、「鎌倉ノ本体ノ武士(理想的な鎌倉武士)」と称せられた傑物。元は鎌倉党の一族として頼朝公と敵対するも、石橋山の合戦(治承四1180年)で頼朝公の窮地を救ったことで信任を得ました。

京都の公家たちとも親交が深かった文武両道の士で「一の郎党」とも高く評価されましたが、一方で讒訴(ざんそ。他人を陥れる訴え)によって多くの御家人を葬り去ったことから、後世の創作では多く「大悪人キャラ」にされてしまいます。

しかし、それは往々にして「頼朝公が心密かに望んだこと」であり、幕府の統制を保つ上で必要な「汚れ役」「憎まれ役」だったのですが、最大の理解者である頼朝公の没後はたちまち失脚。あえなく粛清されてしまったのでした。

中原親能(康治二1143年~承元二1209年)

頼朝公の挙兵直後から仕え、弟の大江広元と共に外交分野で活躍。京都と鎌倉のパイプ役として奔走し、あまりに顔が広かったせいか、ウソかマコトか「親能が鎌倉の総大将である」と勘違いされたという話もあるそうです。

一方で軍略にも才能を発揮し、頼朝公の異母弟・源範頼(のりより)の参謀として各地を転戦し、平家討伐に戦果を上げています。

その能力や功績については申し分ない御家人の一人ですが、キャラクターに癖が少ない分、今一つ印象が薄いイメージです。

二階堂行政(生没年不詳)

母方(頼朝公と縁の深い熱田神宮の宮司を務めた家系)のコネで頼朝公に仕え、大江広元らと共に政治の実務を担った「縁の下の力持ち」的存在。

素行に関する記述などがほとんどなく、ひたすら黙々と幕府の運営に力を尽くしたことから篤い信頼を得ていたことが「鎌倉殿の13人」に選ばれた理由と思われますが、キャラクターとしては面白みに欠ける印象です。

彼をどういう性格に描き、どう立ち居振る舞わせるか、脚本家の手腕が問われる人物と言えるでしょう。

八田知家(康治元1142年~建保六1218年)

八田知家。Wikipediaより。

初陣は保元の乱(保元元1156年)と見られ、頼朝公の父・源義朝の代から仕えた最古参の一人。頼朝公の挙兵には逸早く従い、平家討伐に武功を立てました。

しかし、京都に入った知家は調子に乗って(頼朝公に無断で)朝廷から官位を受けてしまったため「(平家討伐で九州に遠征する)用事を忘れて道草を食っている駄馬野郎め!(大意)」などと罵倒されてしまいます。

その後は反省して各地を転戦、幕府草創の功臣として名を残すのでした。武骨ながら、ちょっと愛嬌のありそうなキャラクターです。

比企能員(生年不詳~建仁三1203年)

頼朝公の乳母である比企尼(ひきのあま)の甥。比企尼は頼朝公の流人時代から仕送りなど全力でバックアップしてくれた大恩人であるため、能員が取り立てられたのでした。

頼朝公の嫡男・源頼家(よりいえ)に娘を嫁がせ、外戚として権勢を固めましたが、北条時政・義時父子との対立によって暗殺され、比企氏は滅ぼされてしまいます(比企の乱)。

比企尼のコネで重用されたこと、そして暗愚とされる頼家の近臣であったことから無能に描かれがちですが、彼もまた「光らせ甲斐」のあるキャラクターと言えるでしょう。

三浦義澄(大治二1127年~正治二1200年)

三浦義明・義澄父子。Wikipediaより。

平治の乱(平治元1160年)で頼朝公の父・源義朝に従うも、敗れて故郷の相模国へ逃げ延びますが、二十年の雌伏を経て頼朝公の挙兵に馳せ参じます。

戦乱の中で老父を討った畠山重忠(はたけやま しげただ)が帰伏すると、私怨を乗り越えて共に戦おうと受け容れる度量で頼朝公の信頼を勝ち取り、鎌倉の宿老として平家討伐で歴戦、数々の武功を上げました。

そんな義澄は建久元1190年、これまでの功績によって推挙(官位を推薦)されますが、「若い者に与えた方が、やる気も出るだろうから」と、息子の三浦義村(よしむら)に譲るなど、美しい引き際を見せています。

三善康信(保延六1140年~承久三1221年)

頼朝公の乳母の甥……現代の感覚では「赤の他人」ですが、当時は乳母を通じたつながりが深く、流人であった頼朝公に月に三度も京都の情勢を知らせ、その挙兵に大きな役割を果たしました。

法理に明るく公正な人柄で知られ、幕府の司法機関である問注所(もんちゅうじょ)の執事として御家人たちの揉め事を次々に解決する「鎌倉の良心」だったようです。

和田義盛(久安三1147年~建暦三1213年)

和田義盛。Wikipediaより。

三浦義澄の甥で知られた暴れん坊。頼朝公の挙兵に際して「なぁ、いつか天下を獲ったら、俺を侍所別当にしてくれよ」と軽口を叩いたところ、本当に任命されてしまったという悪運の持ち主。

侍所(さむらいどころ)は御家人たちの動員や罪人の検断などを行う、いわば軍事・警察を兼ねた組織で、別当(べっとう)はそのトップですが、いざ御家人同士が喧嘩を始めると、仲裁どころか自分の身内に助太刀してしまうなど、血の気の多さが目立ちます。

数々の武勲を立てたものの、やがて北条義時に陥れられて挙兵(和田合戦)、一族郎党滅ぼされてしまうのでした。

終わりに

以上「鎌倉殿の13人」を紹介してきましたが、お気に入りの御家人は見つかったでしょうか。

「名前ばかり羅列されても分からない」という方向けに、何となくキャラクター別にカテゴライズ(※若干の主観アリ)しておくので、好みの御家人に目星をつけておくと、物語に感情移入しやすいでしょう。

【熱血!武闘派】
足立遠元(あだちの とおもと)
八田知家(はったの ともいえ)
比企能員(ひきの よしかず)
和田義盛(わだの よしもり)

【クールな知性派】
大江広元(おおえの ひろもと)
安達盛長(あだちの もりなが)
中原親能(なかはらの ちかよし)
二階堂行政(にかいどうの ゆきまさ)
北条時政(ほうじょうの ときまさ)
三善康信(みよしの やすのぶ)

【バランス派】
梶原景時(かじわらの かげとき)
北条義時(ほうじょうの よしとき)
三浦義澄(みうらの よしずみ)

彼ら13人が協調と対立の中で鎌倉殿を支え、共に描いたであろう「武士の世」がどのように描かれていくのか、ひとり一人の個性に照らしながらドラマを観ると、より一層楽しめるでしょう。

(※個人的には、史実だとあまり目立たない足立、八田、中原、二階堂、三善あたりにスポットライトを当ててくれることを期待しています)

改めて、放送が楽しみですね!

※参考文献:
川合康『日本中世の歴史3 源平の内乱と公武政権』吉川弘文館、2009年10月
細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』洋泉社、2012年8月
細川重男『執権 北条氏と鎌倉幕府』講談社学術文庫、2019年10月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」北条義時以外の構成メンバーは?その顔ぶれを紹介!」のページです。デイリーニュースオンラインは、鎌倉殿の13人鎌倉武士鎌倉時代鎌倉幕府平安時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る