裏切りと身内殺しの策略家。戦国三大悪人の一人「宇喜多直家」の悪しき所業【後編】 (2/2ページ)
病死であったとされる。
息子の「宇喜多秀家(うきたひでいえ)」は秀吉に重宝され、豊臣政権下で備前岡山城主として備前・美作・備中半国・播磨3郡の57万4,000石を領する大名となり、五大老に上り詰めた。
直家の人物像直家の基本的な戦術は、謀略や調略を駆使した暗殺や裏切りであった。特筆すべきは、その対象が親族にも及ぶ点であり、義父や義弟など自身の妻子家族であっても容赦無く殺害したことが悪評を生む原因となったといえる。
しかし、直家の所業には後世の創作ともいえるエピソードも多い。義父である中山信正や、義弟の穝所 職経の殺害に関しては、歴史的史料として信憑性の低い軍記物に記された逸話であり、事実関係は定かでない。
家臣思いな面もあったとされ、古くから仕えた譜代家臣たちも多かったという。
中でも宇喜多三老と呼ばれた「岡家利(おかいえとし)」「長船 貞親(おさふね さだちか)」「戸川 秀安(とがわ ひでやす)」は終生に渡って直家を支えた。
正確な人物像は想像の域を出ないが、目的のためなら手段を選ばない狂人さの中に、人望に富み人心を掌握できる良人的な一面を内包した物であったのかもしれない。
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