ポスト織田信長を巡って大混乱。生き残りを掛けた織田家重臣たちの運命【前編】 (2/3ページ)
後に豊臣秀吉となり天下を統一する人物である。清洲会議後の秀吉は、私的に諸大名との交友関係を密にし、信長の葬儀を取り仕切るなど、日々織田家内の影響力を強めていった。
1582年の10月には清洲会議での約定を反故にして、織田信雄(信長の次男)を担ぎ、信長の次男・信孝打倒に挙兵。これによって秀吉の言動に不満を抱いていた柴田勝家との対立構造が決定的となる。
1583年。北ノ庄城から出陣してきた柴田軍と対峙(賤ヶ岳の戦い)。柴田側であった前田利家の裏切り(秀吉が調略していたとされる)などにより、勝家との戦いに勝利した秀吉は織田家内の地位を確立。実質的に織田家中を掌握し、天下人への道を歩んでゆくことになる。
柴田勝家(しばたかついえ)
筆頭重臣であり、若年時より織田家に仕えた。
