西野七瀬と斉藤優里それぞれの個人PVで「SF」と「日常」が同居する荒船作品【乃木坂46「個人PVという実験場」第14回3/4】
乃木坂46「個人PVという実験場」
第14回 VFXを通して乃木坂46の映像作品を拡張する荒船泰廣作品 3/4
■バトルものも「荒船らしさ」を失わない
乃木坂46の個人PVにおいて荒船泰廣は、VFXを駆使しながら終末的な世界観や怪異をSF的ヴィジュアルで描きつつ、それらの要素をほのぼのとした日常性を掛け合わせて、大仰であればあるほど微笑ましさを増すようなドラマ作品を作ってきた。ここまで見てきた能條愛未「アンゴルモアの大王の娘」(https://taishu.jp/articles/-/83221)や、山下美月「さよならポルターガイスト」(https://taishu.jp/articles/-/90737)は、そうした具体例である。
一方で荒船は、それらVFXによる視覚化と親和性の高い、とあるポピュラーなモチーフを個人PVに持ち込んでもいる。それは、女性キャラクターを戦闘の主体としたバトルものである。ただしここでもまた、現実離れした戦闘とごく日常的な生活や動機づけとを結びつけてみせるのが、荒船の持ち味である。
その系譜の作品に位置する一編が、荒船がZUMIとともに監督を務めた斉藤優里主演「斉ボーグ優里」である。
https://www.youtube.com/watch?v=OfQtiYbIL_k
(※斉藤優里個人PV「斉ボーグ優里」予告編)
身体の一部が武器化して敵と戦うという筋立ては、各種の創作でしばしば見られる、定番の類型の一つである。またそうした創作物につきものの、未知の外敵らしき存在も作中では示唆される。
しかし一方、アルバイト先の店長に片思いする斉藤にとって最大の敵は、同じく店長に思いを寄せるバイト仲間であり、サイボーグとしての特性を賭けた戦いも、とりたてて世界の行く末に直結するわけでもない、バイト仲間とのいさかいにのみ発揮される。
そしてまた、同作はSFバトルものではありつつも、すべては斉藤の片思い相手への気持ちに連動して生じる、空想の産物としての解釈の余地を残している。彼女の気持ちが最大にかき乱されて生じるラストも、あくまで日常を生きる斉藤の心象風景なのかもしれない。
いずれにせよ、クライマックスのバトルを描いた映像のクオリティと大仰さは、爽快な驚きと可笑しみをもたらしてくれる。形式上はCDシングル特典、それもそのうちのごく一部でしかないはずのコンテンツに、この異様な充実度が見出だせるのは、まさに個人PVという企画の醍醐味である。
■日常とSFが自然に溶け合う光景
「斉ボーグ優里」から1年後、乃木坂46の17枚目シングル『インフルエンサー』収録の個人PVで荒船は再度、バトルものをモチーフに個人PVを手がける。それが、西野七瀬主演「ばけねこのななせ」である。
https://www.youtube.com/watch?v=9ADxhVApz-0
(※西野七瀬個人PV「ばけねこのななせ」フルバージョン)
生まれつき猫耳が生えている高校生・西野は、映画部の部長から自主映画に「化け猫」役で出演してほしいと懇願される。自身の属性ゆえのトラウマからその申し出を拒絶する西野だが、唯一の友達である野良猫に背中を押され映画出演を了承、それは彼女が仲間を得るための第一歩でもあった――。
「斉ボーグ優里」が心象風景としてのSFという解釈を示していたのと同様に、「ばけねこのななせ」でも、まさに想像力の具現化として荒船特有のVFX技術は活かされている。
西野が出演する自主映画は、高校生が作った非常に質素な道具立てのものである。しかし、画面のアスペクト比が変わり、劇中劇として映し出されるその自主映画のカットにおいてのみ、ダンボール製だった敵は強靭なボディを持ち、周囲は炎に包まれる。
もちろん、素朴な存在として描かれる高校生たちに、そうした大掛かりな技術も予算もあるわけはなく、劇中劇のリッチな画面は、あくまで主観あるいは願望の投影である。
あらかじめすべては空想の産物に過ぎないことが示されてはいるが、いかに拙い高校生の習作であろうとも、作り手たちの主観や妄想がどれほどに無垢で気恥ずかしい楽しさに満ちているか。その初期衝動こそをテーマにした青春ドラマとして、「ばけねこのななせ」はある。
もっとも、このドラマでそもそも一番SF的な、「生まれつき猫耳が生えている」「猫と会話ができる」という西野の設定は、登場人物たちにあらためて問われることもなく、どこまでもごく日常的な風景のうちに溶け込まされている。このバランスもやはり、荒船作品的といえよう。