戦国時代、武将たちが名乗った「弾正」は京都洛中の風紀委員だった? (2/3ページ)

Japaaan

検非違使の出現により、形骸化した弾正台(イメージ)。

やがて嵯峨天皇(第52代。在位:大同4・809年~弘仁14・823年)の時代に検非違使(けびいし)が創設されると、非違に対する摘発・奏聞の権限を奪われ、形骸化してしまうのでした。

よく叙任される「弾正弼」、よく自称される「弾正忠」

さて、そんな弾正台ですが、一口に弾正と言ってもその中にもランクがあります。

(いん/かみ):1名
(ひつ/すけ):大弼1名、少弼1名
(ちゅう/じょう):大忠1名、少忠2名
(そ/さかん):大疏1名、少疏2名

その他、さらに下級の台掌(だいしょう)や巡察(じゅんさつ)などの役があり、それぞれ正式に叙任された者や自称した者がいました。

【正式に叙任された戦国武将の例】
上杉謙信……弾正少弼
上杉景勝……弾正少弼
織田信長……弾正忠
松永久秀……弾正少弼
など。

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