徹底抗戦の末に切腹。最後まで豊臣秀吉に抗った戦国大名「北条氏政」のプライド【前編】 (2/2ページ)

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この頃の関東を取り巻く情勢は不安定であり、北条氏を含めた隣国は同盟関係や敵対関係を定期的に繰り返していた。氏政は武田氏との友好関係を選択し、越後の上杉氏と敵対した。また、1572年には西の敵国であった尾張の織田氏と三河の徳川氏の連合軍を、武田氏との連携で破っている。(三方ヶ原の戦い)

信長への臣従

氏政と同時期に活躍した「織田信長」(Wikipediaより)

1578年。越後国の当主・上杉謙信が死亡すると、後継者を巡って景勝と景虎の間で内乱が発生。氏政は弟である景虎を援助し、同盟関係にあった武田氏にも援軍を要請した。

しかし、景勝が武田氏と和睦したことで家督争いに勝利し、景虎は自害に追い込まれる。(御館の乱)

氏政はこの内乱を契機に、武田氏との同盟を破棄。三河の徳川氏と同盟を結んだ。その後は武田氏と交戦状態が続くが、徐々に劣勢に陥ったことで京都で台頭著しかった織田信長に臣従の意向を見せる。1580年。家督を次男の「氏直(うじなお)」に譲って隠居した。

【後編へ続く】

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