日本初の林学者で”日本公園の父”と呼ばれた、本多静六の驚くべき資産運用の方法 (2/2ページ)
ドイツでは、2つの学校に学び、最初はドレスデン郊外にあるターラントの山林学校(現在はドレスデン工科大学林学部)で半年学んだ後、ミュンヘン大学へ転校。さらに1年半学問を究め、ドクトルの学位を授与されました。学位をとった静六は、欧米を視察したあと帰国し、母校で教鞭をとることになります。
静六は投資家としても成功静六は、林学者として知られている一方、投資家としても成功をしています。
彼の資産形成は25歳のとき、東大の助教授に任じられたときから始まりました。
まず自分の収入の4分の1を常に貯金していき、臨時収入があったら全て貯金していきます。そして、貯金がある程度貯まった段階で投資をするということを繰り返し、結果的に莫大な富を築きました。
最終的には、広大な面積の秩父の山々を購入し、学生たちの奨学金の充当を目的に、埼玉県に2700ヘクタールの土地を寄付しています。
少年期にお金で苦労をしたからこそ、お金の大切さがしっかりと理解でき、彼のその後のライフスタイルを堅実なものにしたのかもしれません。
静六の命名した「武蔵嵐山」という地名は、その後、駅名や自治体名として受け継がれ、町制施行時に「嵐山町」となりました。
日本の公園のフレームワークを作るのみならず、計画的な資産形成で社会貢献活動を行った静六の原動力は、少年時代にお金に苦労し、大変な苦労の中で勉強をした原体験からだったのかもしれません。
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