江戸時代は初詣をしていなかった!?今の常識は非常識?初詣にまつわる歴史アレコレ

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江戸時代は初詣をしていなかった!?今の常識は非常識?初詣にまつわる歴史アレコレ

江戸時代の人は初詣をしていなかった!

現在は当たり前となった初詣。今回は特に、密を避けるため分散参拝が勧められてますね。

実は今のスタイルの「元日に有名な寺や神社に詣でるスタイル」は明治時代に盛んになった風習だったと知ってましたか?

特に厄除けに関しては、鉄道普及とともにブームになったもので、成田山や川崎大師などの宣伝効果によるものだったといいます。

また有名だけれど遠くてなかなか行けなかった寺社、というニーズと合致したという背景もあるようです。

元々は「年籠り」(としごもり)といって、家長が大晦日の夜から元日の朝にかけ氏神神社に籠り祈願する習慣が一般的でした。この年籠りが、大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」との2つに分かれ、除夜に詣でて一度帰ってから元日にもう一度詣でる「二年参り」となったということです。

川崎宿大師河原真景、一立斎広重、国立国会図書館蔵

元日、江戸っ子がお参りした先は?

とはいえ、昔の人が氏神様以外に詣でなかったのかというと、そうではありません。
盛んだったのは「七福神参り」や吉方参り。

七福神は大きな町内ごとや街道筋には必ずといっていいほど、ありますよね。
自分の住んでいる町内を回るので、これも一つの氏神信仰といえます。

江戸後期になると吉方(えほう)参りも流行。

吉方は恵方とも書き、その年の縁起がよいとされる方角のことで、干支によって毎年変わります。元旦の早朝、吉方にあたる神社に参詣して祈り、御守や御札、破魔矢などをいただきます。

この恵方参りや年籠りが廃れて、元日に手軽に鉄道に乗ってお参りに行く今のスタイルになったということですね。

余談ですが武家の場合はまた別で、元日は登城したり挨拶周りに明け暮れるなど大忙しでした。

有名な明治神宮の森は太古のものではない

初詣で有名な明治神宮。その名の通り明治天皇を祀るために建てられた宮ですね。元々は肥後熊本藩の武家屋敷だった敷地で、あの大正時代に植樹したことによる人工的な森なのです。なので敷地内に熊本藩主の加藤清正が掘った『清正井』があるのですね。

浅草寺のおみくじは凶が多い

南光坊天海が観音様のお告げで、「大吉は運の頂点で落ちていくだけ、凶はこれから良くなるのだから悲観しなくて良い」という教えを受けたため、3割以上が凶だと言われています。

おみくじは木に結ばない

今ではかなり知られていると思いますが、本来おみくじはその年の自分の指針として持ち帰り、財布などに忍ばせ、いつでも初心に立ち戻れるようにしておくもの。

ではなぜ木に結ぶようになったのか?実ははっきりとはわかっていません。


この風習は神道とも仏教とも全く関係性がなく、大正時代あたりから始まった無意味な風習とされています。神社仏閣にあるおみくじを結ぶ棒は、木に巻いていく人が後を絶たないため致し方なく設置したものです。

参考:『鉄道が変えた社寺参詣』(平山昇著)

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