志村けん、野村克也、渡哲也…スーパースターたちが残した「魂の名言」

日刊大衆

志村けん
志村けん

 惜しまれながらもあの世へと旅立った有名人たち。だが、この大変な時代を楽しく生きる知恵を、授けてくれた!

「お客さんが大爆笑してくれた瞬間は、“金も女もいらない”と思いますよ」

 これは新型コロナによる肺炎のため、2020年3月29日に亡くなった稀代のコメディアン、志村けんさん(享年70)の言葉である。

「酒も女も夜遊びも大好きでしたが、それ以上にコントを愛していた。舞台で、どう笑わせるか、そればかり考えていました」(テレビ局関係者)

 志村さんは、ライフワークである笑いに、いつも真剣に取り組んだ。

「芸能界で大御所扱いされるようになっても、バカバカしいギャグや、くだらないネタを真剣にやり続けた。それこそが志村さんの偉大さでした」(前同)

 コロナ禍に見舞われた2020年。今回は、この1年間に亡くなったスターたちが遺した名言を、生前の逸話と合わせて紹介。暗い時代を生き抜く元気をもらいたい。

 志村さんに続いて4月23日には、女優の岡江久美子さんも新型コロナによる肺炎で亡くなった。享年63。いつも美しく、明るく、気負いのなかった岡江さんは、こんな言葉を遺した。

「毎日が祭り」

 お祭りの日のように、いつでも楽しく過ごしたいという意味だ。芸能レポーターの城下尊之氏は、こう振り返る。

「岡江さんが司会をやっていた番組のトークコーナーで、ゲストと打ち合わせしていたはずのネタが急にNGになり、生放送中に3分間の穴が空いたんです。周りが慌てふためく中でも、彼女は動じることなく“大丈夫よ、つなぐわ”って。あの、のんびりとしたところがステキでしたね」

■野村“ID野球”も多くの名言

 球界の名選手にして名監督、野村克也さんが心不全で亡くなったのは2月11日だった。享年84。“ID野球”で知られるように、データ主義で“考える野球”を実践した野村さんは、多くの名言を遺した。

「自己を過大評価した瞬間から、思考の硬直が始まる」というのも、その一つ。テレビ朝日系の野球中継で共演した野球評論家の関本四十四氏が懐かしむ。

「野球談議が盛り上がると、ノムさんは絶対に止めないんですよ。でも、話が面白くて、飽きさせない。夜中の3時になってたことも」

 常に野球について考え、データを徹底的に分析することが、選手としても指導者としても、輝かしい実績につながったのだろう。V9時代の巨人に在籍していた関本氏は、こんな秘話を明かす。

「巨人は67年以降、日本シリーズで毎年のように対戦する阪急相手に手こずっていました。あるとき巨人の森祇晶(当時は昌彦)さんが、同じ捕手で南海のノムさんを訪ねたんです。阪急の情報を聞き出すためだったんですが、情報交換もできるからノムさんは大歓迎。結局、巨人は阪急に一度も日本一の座を渡さなかったんですから、ノムさんの情報が、いかに的確だったか、分かりますよ」

 俳優の渡哲也さんが肺炎で亡くなったのは、8月10日だった。享年78。

「毎年恒例だった石和温泉での石原プロの忘年会でのこと。渡さんは、いつも“1年分飲むぞ〜! 騒ぐぞ〜!”と、笑顔で声を張り上げていました。その忘年会は、裕次郎さんが亡くなったあとも何年も続けられました。私たち取材陣にも“お年玉”が出るので、うれしかったものです」と語るのは、芸能レポーターの川内天子氏だ。

「一方で、裕次郎さんの法事のときは厳しい表情で臨んでいて、一瞬たりとも笑顔を見せずに執り行っていました」(前同)

 スターとして栄光をつかんだ反面、生涯の兄貴分である裕次郎の早すぎる死、自身のたび重なる闘病、石原プロの経営難と人一倍、苦難も多かった渡さんは、こんな言葉を遺している。

「耐えることが人生」

『大都会』(日本テレビ系)や『西部警察』(テレビ朝日系)で、男の悲哀を背中で表現した俳優ならではの名言である。

■10億円もの資産、自己破産しても

 8月11日に多臓器不全で亡くなった須藤甚一郎さん(享年81)は、渡さんらスターを突撃取材するという、自らの仕事に誇りを持っていた。小誌でもおなじみだった須藤さんは、芸能レポーターについて、こう語った。

「俺たちは嫌われ役でいい。タレントがいるからレポーターは存在するんだ」

 前出の城下氏は、須藤さんと、テレビ番組でたびたび共演していた。

「僕にとっては叔父貴のような存在でしたね。ある俳優に“レポーターはウンコにたかるハエだ”と言われたんですが、須藤さんは“すると、あなたたちはウンコですね”と切り返した。品はなくても、粘り腰こそが芸能レポーターの基本だと教えられましたよ」

 8月28日に急性心不全で亡くなった元ザ・タイガースの岸部四郎さん(享年71)は、人生の浮き沈みを極端な形で経験した。

「タイガース解散後は、人気タレントに。一時は財テクに成功し、10億円もの資産があった。ところが、浪費癖に事業の失敗、バブル崩壊などが災いし、一転して巨額の負債が雪だるま式に増えてしまった。利息だけで月1200万円に及んだとか」(スポーツ紙記者)

 笑顔でテレビ出演しながらも、深刻な状況に追い込まれていたという。

「番組の収録が終わっても、正面玄関から出ると債権者に見つかるからと、裏口からコソコソ帰るんです。しかも、銀行振込では債権者に回って自分の手元に入らないとかで、出演ギャラは、その場で現金で受け取るわけです」(前出の川内氏)

 98年に自己破産した岸部さんは、自虐キャラとしてバラエティ番組で活躍。こんな“迷言”を吐いた。

「俺を誰や思うてんねん! 元金持ちやぞ!」

 その後は病に苦しんだ岸部さんだが、晩年は東京ドームで行われたザ・タイガースの再結成コンサートのステージに車イスで登場。仲間に囲まれて、万感の思いでビートルズの『イエスタデイ』を熱唱した。

■早撃ちの名手が到達した境地

 一度きりの人生を謳歌したのが、1月18日に虚血性心疾患で亡くなった俳優の宍戸錠さん(享年86)だ。日活時代に、早撃ちの名手“エースのジョー”として一世を風靡した宍戸さんは、プライベートでは女を撃ち落とすのが得意だったという。

「妻子がいましたが“1300人斬り”を自称し、晩年まで数え切れない女性たちとベッドインしていたとか」(前出の記者)

 11月12日に老衰で亡くなった歌舞伎俳優の坂田藤十郎さん(享年88)は、女遊びが“芸の肥やし”といわれた時代を生きた。

「中村扇雀と名乗っていた若い頃から、祇園界隈の遊び人として知られていました。58年に宝塚女優だった扇千景さんとデキ婚をしますが、その後も、女性問題でマスコミを賑わせるのが常。それを、扇さんは“男の甲斐性”だと容認していたんです」(芸能記者)

 その遊びっぷりは、自身が人間国宝に、千景夫人が国会議員になってからも変わらなかった。中村鴈治郎を名乗っていた02年には、70歳にして19歳の舞妓とのホテル密会が写真週刊誌にスクープされている。直後、記者に囲まれた藤十郎さんのコメントは実に痛快だった。

「70歳なのに、こんなふうに報じられてうれしい。世の男性も頑張って」

 このコメントが大いに受けて、大きな問題には発展しなかった。

「今なら“人間国宝を辞退しろ”とSNSで大炎上するかもしれませんが、当時はいい時代だったんですね」(前出の芸能記者)

 人生を充実させるのは、ずっと夢中になれるものが必要だ。4月10日に、肺がんで亡くなった映画監督の大林宣彦さん(享年82)は、こう語っている。

「幸福に生きる秘訣は、自分の一番好きなことをして生きるということに尽きる」

 大林さんは“好きなこと”である映画作りを晩年まで続けた。コロナ禍で一度は公開延期された新作『海辺の映画館-キネマの玉手箱』は、没後の7月に封切られた。

 世界で初めて素粒子ニュートリノの観測に成功し、02年にノーベル物理学賞を受賞した物理学者の小柴昌俊さんも、大林さんに通じることを語っていた。

「自分が本当にやりたいことを見つけられたら、後はもう大丈夫」

 “本当にやりたいこと”を追求し、世界から認められた小柴さんは、11月12日に老衰で亡くなった。94歳の大往生だった。

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