徳川家康に天下を取らせた戦国武将・藤堂高虎のフォロワーシップ【後編】
一兵卒からスタートし、主君を幾度も変えて、最終的には32万石の大名にまで昇りつめた藤堂高虎(とうどうたかとら)。「フォロワーシップ」という観点から、彼がなぜ大出世を遂げることができたのかを考えていきたいと思います。
藤堂高虎ってだれ? という方、ちょっと復習しておきたいなという方は、こちらにその生涯をまとめてありますので、ぜひお読みください。
主君を次々と変えた変節漢?身長190cmを超す規格外の巨漢武将・藤堂高虎【前編】 主君を次々と変えた変節漢?身長190cmを超す規格外の巨漢武将・藤堂高虎【後編】前編の記事はこちら
徳川家康に天下を取らせた戦国武将・藤堂高虎のフォロワーシップ【前編】 フォロワーがリーダーをつくるこんな動画があります。
動画の内容を簡単にまとめると
裸の男が一人で踊っている 別の男がやってきて、一緒に踊り始める それを見た他の人たちも踊りの輪に加わる 大勢の人が踊りだし、「踊らない方がおかしい」という状況が出来上がるというものです。
裸の男は、彼一人だけでは「ただの変な人」です。
しかし、別の人間がフォロワーとなって一緒に踊り始めることで裸の男はリーダーになり、最終的にムーブメントを巻き起こします。リーダーの存在は重要です。しかし、一人目のフォロワーの存在も、それに劣らないくらい重要なのです。
高虎がやったことはこれと同じだったと言えるのではないでしょうか。秀吉の没後から徹底して家康支持を貫いたこと、いち早く人質を差し出したことなど、ひとりめのフォロワーとして積極的に行動することによって家康をリーダーにし、家康が天下を取るきっかけを作りました。
そしておそらく、家康はそのことに気付いていました。先祖代々徳川家に仕えてきた者たちにも劣らない待遇を高虎に与えたこと、伊勢・伊賀という戦略的に重要な地を任せたこと、隠居した家康が拠点とした駿府城下の最も良い場所に屋敷を与えたことなどは、その証拠と言えるのではないでしょうか。
そんな理想的なリーダーとフォロワーであった家康と高虎ですが、最後にこんな逸話をご紹介して終わりにしたいと思います。
高虎のお願い江戸幕府の支配も盤石になりつつあった頃、高虎が家康の下を訪れて言いました。
「家康さま、このたびは私の死んだ後のことについてお願いがございます」
「申してみよ(後継者をよろしく頼む的な話かな?)」
「私が死んだら、藤堂家を現在の伊勢からどこか適当なところに移していただきたいのです」
「……え、移さないじゃなくて、移すの!?」
「はい。伊勢は江戸幕府にとって重要な地。愚息は未熟者ゆえ、失政でもあれば取り返しがつきません。であれば、もっと相応しい方にお任せするのが天下のためです」
「たとえご子息が未熟でも、藤堂家にはそなたが育て上げた家臣たちがいるではないか。その者たちがしっかりサポートすれば問題なかろう。そなたの死後も、伊勢は藤堂に任せる」
かくして高虎の申し出は却下されたわけですが、その真意はどこにあったのか。
おそらく高虎は、家康のリアクションは予想していたのだと思います。そして家康の側も、高虎が何を言ってほしいかを予想していた。
つまり暗黙裡に書き上げた筋書きで、領地の支配権について言質を取る/与えるという芝居を打ったのです。
もちろん、本気で国替えを望んだ可能性が全くないわけではありません。本気で江戸幕府のためを思ったとか、要地で失政をして咎められるくらいなら無難な地で生き延びる確率を上げた方が良いという判断です。
いずれにせよ高虎が言質を取ったことも幸いし、藤堂家は廃藩置県を迎えるまでの250年以上、伊勢の地で栄え続けました。
藤堂高虎という人物は、フォロワーシップを発揮する一方で、しっかりと自分の利益も確保するしたたかさを持ち合わせていたと言えるのではないでしょうか。
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