日本橋、遊郭、長屋…浮世絵で見る、江戸時代を生きる人々のタイムスケジュールはどうなっていた?【その9】
これまで“江戸を生きる人々の1日のタイムスケジュールはどうなっていたか”についてご紹介しています。
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お江戸のタイムスケジュール バックナンバー
今回は“午後11時~午前1時頃”の江戸の様子を見ていきましょう。
真夜九つ(午後11時頃から午前1時頃まで)
上掲の浮世絵のタイトルに「子之刻」とあります。つまり“真夜九つ”午後11時頃から午前1時頃のことです。
吉原の張見世は原則的には「夜四つ」が定められた張見世の終了時間なのですが、「真夜九つ」つまり24時(午前0時)を“四つ”だと言い張って時間を延長していました。
絵の中央にいる二人の遊女はもう客も帰って一息ついたのか、緊張もとけたリラックスした表情で煙草を吸いながら今夜の客の話でもしているようです。
この左側の遊女の名前の所に「稲本楼内」と書かれています。「稲本楼」と言えば、江戸吉原一とも言われるほどの大見世でした。
当世十二時之内「子之刻」画:歌川芳虎(部分) 東京都立図書館所蔵
絵の上部では「稲本楼」はまだ客も多く大賑わいです。この様子からすると午後11時頃を過ぎた様子が描かれています。
当世十二時之内「子之刻」(部分)画:歌川芳虎 東京都立図書館所蔵
絵の中央部では禿になりたてか否かというような幼い子供たちが、夜も遅いというのにふざけ遊んでいて店の者にたしなめられています。
あ~寒い!夜中に寒中参り
歌川広重は冬の夜景として、堰堤とその脇の坂道を描きました。題として「あふひ坂」とありますが、古地図には「葵坂(あおいざか)」と記されています。
冬の寒い夜、ふんどし姿の2人連れが歩いています。
「金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)」と書かれた提灯を手にしているので、葵坂下にある金毘羅大権現、現在も虎ノ門にある“金刀比羅宮”への「寒詣」の帰り道でしょう。
廣重東都坂盡 葵阪之図 画:歌川広重 出典:国立国会図書館デジタルコレクション
さきほどの二人は、上掲の絵の左の坂のふもとにいたのです。
「寒詣」は“寒参り”や“裸参り”とも呼ばれ、ふんどし一丁で水垢離(みずごり)つまりは冷水を浴びて身を清め、その姿のままで鈴を鳴らしながら神社仏閣へ参拝しました。
「寒」とは二十四節季の「小寒」と「大寒」の期間で、現在の1月6日頃から立春(2月4日か5日)の前日までの約30日間を通い続けました。
技術の習得を祈願する見習い職人たちがよく行っており、その姿や鈴の音は真冬の風物詩だったといわれています。
午前0時、吉原では。
吉原も午前0時にはさすがに店じまいの時間になり、張見世から遊女達は姿を消し、大戸が降ろされます。これはつまり“これ以降は新規の客は受け入れない”ということです。(ただ、それは午前2時以降であると記されている資料もあり、不確定な部分もあります)
もちろん遊郭に泊まり朝家に帰ろうという、これから遊女と枕を共にするお客方が沢山いるわけで、遊女たちの本当の仕事はこれから始まるのです。
当然この時間よりも前に遊女と床を共にするお客もいました。遊女と客の同意があればそれは別に問題はありません。
浮世姿吉原大全 名代の座舗 画:渓斎英泉 国立国会図書館デジタルコレクションより
浮世絵に描かれているような花魁の美しさや豊かさに人々は憧れましたが、その実は大変な苦労を伴うものでした。しかしみな生きるために必死だったのですね。
次回に続く。
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