フリーアナ市野瀬瞳「オードリー若林さんからのフリは“え、これ本当にやっていいの?”って思うようなことが多くて」【独占告白3/10】
フリーアナ市野瀬瞳 独占告白3/10
新潟総合テレビ、中京テレビでの局アナを経てフリーで活躍している市野瀬瞳。1月15日に発売されたEX大衆2月号でインタビューを行なったが、誌面では掲載できなかった部分を本サイトで公開。10回にわたって掲載する。
──新潟時代の普通に取材して、ニュースを読んでいた日々から、入社直後にオードリーや高田純次さんと共演することになって緊張しませんでしたか?
入社して1週間後に市川海老蔵さんとのロケとか、どんどんバラエティの仕事が決まっていったんです。もちろん緊張もしましたが、皆さん一流の方だから邪魔にならないように、同じ空気に立てるよう自分で考えたり先輩からアドバイスをいただいて試行錯誤しました。それまで一切やったことのない仕事だったので1ヶ月程度でずいぶん揉まれました。
──では、市野瀬さんが数々の伝説を残した『オドぜひ』こと『オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。』についての思い出を聞かせてください。
最初、番組のプロデューサーには、当時放送していた『マツコ&有吉の怒り新党』の夏目三久さんみたいに、話を振られたときにサラッと返す感じがいいと言われたんですけどね。当然、そのつもりで収録に臨んでいたら、若林さんがちょっとずつ変化球を投げてくるんです。それをクリアしたら、「あ、この子はイケるな」って思われたようで。さらに高いボールを投げられて、それをクリアして、さらに高いボールが来るという感じでどんどんエスカレートしていったんです(笑)。
──求められるハードルがどんどん上がっていったんですね。
若林さん的に最初からそうしようとは思ってなかったみたいですが、私に投げたら返ってくると思ってくれたみたいで。そこから春日さんのお腹にパンチをしたり、官能小説を音読したり、ペットボトルを口に入れてみたり……。あの経験があるから今の私があるんですけど(笑)。
──当時、そういった無茶ぶりはイヤじゃなかったんですか?
ほとんどイヤなものばかりでしたよ(笑)。若林さんからのフリは「え、これ本当にやっていいの?」って思うようなものがすごく多かったんですよ。でも私がそこで大事にしていたのは、この一流の2人と番組をやるということは、私も同じ空気感にならないとダメだということ。そうじゃないと申し訳ないですから。だから、一歩引くんじゃなくて2人と同じところに立とう思って、毎回収録に臨んでました。
──女子アナとしてではなく、バラエティタレントとして同じ番組に出ていたということですか。
完全に女子アナじゃなかったですね。毎回、無茶ブリが来て戸惑いはあったけど、「オードリーの2人と同じところに立ってやらないと」という気持ちが強すぎて、その戸惑いをかき消しちゃうんですよ。
(取材・文 舩山貴之)
PROFILE
いちのせ ひとみ
1984年12月25日生まれ、新潟県出身。横浜国立大学経済学部卒業後、新潟総合テレビ、中京テレビでの局アナを経てフリー。