石田桃香 上京したけど仕事がなくアルバイト生活だった

アサ芸プラス

石田桃香 上京したけど仕事がなくアルバイト生活だった

テリー 歌手やスポーツ選手の日々の努力ってわかるじゃない。練習方法もハッキリしてるし。でも、テレビの仕事の日々の努力って、あるようで、ないようで、難しいよね。何か努力はしてた?

石田 最初の頃は1回の収録で一度もしゃべれなかったり、何もできない時があったので、そのたびにそれまでの放送を見直して、毎回呼ばれてる先輩を参考に、自分が頑張れるところを探してました。あとはスタッフさんに「今回の収録で私、どこがダメでしたか」って聞いたり。

テリー ええっ、俺、そんなの一度もやったことないよ。それがいくつの時?

石田 高1ぐらいです。

テリー てことは、15か16歳だ。意識高いなぁ。そしたら、スタッフの人はなんて?

石田 15人いると、最初のひと言が大きくないと会話に入れないから、ひたすら大きな声で「あの!」とかって手を挙げたらいいよって。そこからけっこう大きい声で話すようになったり、割り込むスキを研究しました。

テリー テレビって、あんまり長々しゃべるとカットされちゃうしな。20秒か30秒でまとめないと。

石田 そうなんですよね。でも、そんな力は全然なかったので、私はワイプで頑張ろうと思ってました。

テリー あ、ワイプの女王になろうと思ったんだ。昔の矢口(真里)みたいに。

石田 まずはワイプでインパクトを残したらいいんだなと。関西弁やと、わりとワイプで使ってもらえたりするんです。だから、当時は大きい声で頑張ってました。ワイプ中もしゃべりなさいって言われてた番組だったので。

テリー 番組を卒業したのが20歳で、1年前にグラビアを始めたってことは21歳ぐらいでしょう。その間は何してたの。

石田 芸能活動を本格的に始めようと思って上京したんですけど、特にお仕事もなく、ずっと原宿のカフェでアルバイトです。

テリー あ、そうなの。でも番組ではかなりの人気メンバーだったんだよね。そんなところでバイトしてたらファンが気づくでしょ。

石田 卒業したての頃はけっこう声をかけていただくことも多かったんですけど、やっぱり世に出続けないと、皆さんの記憶から薄まっていくんやなと。だから、後半は普通に接客してました。

テリー そうなんだ。だって今は「桃香が原宿でバイトしてるぞ」みたいな情報がネットに上がったりするじゃない。

石田 見つけても書かない方が多かったみたいで。いまだに私がアルバイトしてた情報が出てこないんですよ。

テリー 自分で出しなよ。

石田 アハハハ。

テリー でも、7年もやってたレギュラーを卒業してバイト生活って、焦りもあるし、寂しいよね。

石田 はい。特に何かやりきろうと思って上京したばかりだったので「何しに東京来てんねん!」っていう気持ちが一番で。この1年で大きいお仕事とか、何か自分にプラスになるようなお仕事が決まらなかったら大阪に帰ろう、ぐらいに思ってました。

テリー へぇ~。

石田 しかも、一緒に「Rの法則」に出てたお友達の舞台が決まったりして、自分だけ取り残されていく感も強かったですし。私も何か発信したいんですけど、何も発信することがないから、ツイッターのフォロワー数も全然伸びなくて。気持ち的にはメッチャもがいてました。

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