「本能寺の変」新説発掘!「敵は本能寺にあり」と叫んだのは別人だった? (2/2ページ)

Asagei Biz

ところが、告げたのは光秀ではなく、もっと下っ端で中間管理職である部隊長の家臣であり、真夜中(2日早朝)に休憩した桂川の河原で「これから本能寺を攻めるぞ!」と言った。

〇これまで出陣の時間に関しては、「川角太閤記(かわすみたいこうき)」では、酉の刻(午後5時〜7時)、また「惟任退治記(これとうたいじき)」では、子の刻(午後11時〜午前1時)に亀山城を出発したとされるなど諸説あるが、今回の文書には「日暮れ前に出発した」とあり、実際に事件にかかわった人物の実感として、従来語られてきた夜ではなく、まだ明るいうちに出陣したことなどがわかる。具体的な時刻がないことで、むしろ信憑性がある新たな発見だという。萩原氏によれば、

「これまで通説を形作ってきたのは、信長や秀吉側など光秀の敵側からの史料。今回の文書は、本能寺の変に参加した人物の証言で、敗者である光秀側の史料が見つかったことになる。事件から87年後の記述で、超1級史料とまでは言えないが、他の史料と合わせて見ると、本能寺の変の真実が見えてくるのではないか」

 果たして大河ドラマではどう描かれるのか。


萩原大輔(はぎわら・だいすけ)82年、滋賀県生まれ。富山市郷土博物館主査学芸員。京都大学博士(文学)。専門は日本中世史。加賀藩関係史料の調査中、今回の記述の発見に至った。著書に「謙信襲来」(能登印刷出版部)、「武者の覚え 戦国越中の覇者・佐々成政」(北日本新聞社)など。

河合敦(かわい・あつし)65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。早稲田大学非常勤講師。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。主な著書:「早わかり日本史」(日本実業出版社)、「大久保利通」(小社)、「繰り返す日本史二千年を貫く五つの法則」(青春新書)など。

※「週刊アサヒ芸能」2月11日号より

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