紫式部の「式部」って何?現代も生き続ける律令制度の名残を紹介 (3/3ページ)
しかし、寛和2年(986年)に第65代・花山天皇が退位されたことに伴って官職を辞すると、次代の一条天皇の御代においては官職が与えられず、しばらく散位となりました。
その後、長徳2年(996年)に従五位下へと昇進して貴族(※)となり、官職も越前守(国司)として越前国(現:福井県東部)へ赴任。
(※)広い意味では初位(八位の下)以上の官位を持てば貴族ですが、内裏への昇殿が許された五位以上の者が貴族とされていました。
最終的には正五位下の左少弁(さしょうべん。各省を指揮監督する官職)となり、長元2年(1029年)ごろに世を去ったということです。
※紫式部は寛仁3年(1019年)過ぎごろに亡くなったと言われています。
現代も生き続ける律令制度の名残りそれから長い歳月が流れ、式部省は現代でも宮内庁の式部職(しきぶしょく)として存在しています。
宮内庁法によれば、その役職は(1)儀式に関すること(2)交際に関すること(3)雅楽に関すること(第7条)となっており、よく知られるところでは長良川の鵜飼いや新年の歌会始(うたかいはじめ)などを担当しているということです。

中央政府における人事と人材育成は他へ移管したものの、宮中儀礼に関する機能は律令時代から変わらず継承しているんですね。
ところで、ある議員秘書さんが「日本の政治家や政権はコロコロ変わるけど、官僚制度だけは律令時代から千年以上ずっと変わっていない」と言っていましたが、こういう名称も古くから伝わっているものがたくさんありますから、興味を持って見てみると面白いですよ。
※参考文献:
小口雅史 編『律令制と古代日本国家』同成社、2018年10月
阿部猛『教養の日本史 平安貴族の実像』東京堂出版、1993年3月
加藤友康 編『日本の時代史6 摂関政治と王朝文化』吉川弘文館、2002年11月
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