葬儀の簡素化と仏教慣用句「信は荘厳なり」という考え方は矛盾するか (1/2ページ)
密教系や浄土系寺院などに入ると、きらびやかに飾り付けられた本堂・本尊を見ることができる。大型寺院ともなると過剰に感じるほど豪奢な飾り付けであることも珍しくない。一切の欲をへの執着を断ち切る仏教の教えと矛盾しているようであるが、美しく整えるという行為は必ずしも虚栄心からくるものではない。それは故人の、人生最後の姿を美しく飾り付けて見送ることを見てもわかるはずである。
■「信は荘厳なり」とは
仏教の慣用句に「信は荘厳より起こる」「信は荘厳なり」などというものがある。荘厳とは本堂や仏壇の中を美しく飾ることで「仏壇を荘厳する」などと言う。この言葉は美しく整然となっているところに信仰心は生まれるものだ、といった意味である。信仰にも見た目や形式が大切であり、内容は形式から導き出されることがある。寺院や神社に足を運び、境内や建物、仏像などが美しく飾られている光景に感動し、そこから信仰心が生まれることは多々あることだ。例えば浄土系寺院の本堂は極楽浄土を模した美しい飾り付けがされている。これが荘厳である。我々凡人はまずそのきらびやかな姿に惹かれる。その中心に鎮座する本尊・阿弥陀如来は宇宙の真理そのものであり、本来は姿形を持たない存在である。しかしそれでは凡人には理解しにくいため、わかりやすい姿になったのが仏像・仏画としての阿弥陀如来なのである。信仰はまず形式から始まり、やがて形式の奥にある真理に辿り着く。形式は真理を悟るための方便である。一切の虚飾を剥ぎ取り、見かけに囚われない真理を看破するのが仏教の本義であるが、まずは神仏の美しさに感動することが信仰への入口となる。
■阿弥陀経
浄土三部経のひとつ「仏説阿弥陀経」には極楽浄土のきらびやかな光景が描写されている、極楽浄土を荘厳する経典である。阿弥陀経によると、極楽浄土は金・銀・瑠璃・水晶の4種の宝石からできている石垣や網がめぐらされ、さらに3種の宝石を加えて出来た池や木が生え、天井の楽器が演奏され、大地は黄金色で麗しい光景が広がるなどと説く。
これだけ読めばかなり世俗的な表現にも感じられるが、それは現代人の感性だろう。阿弥陀経は三部経の中で最も短く「小経」と呼ばれており、最もよく読誦されてきた。