江戸時代、全国に自然発生的に広まった「寺子屋」ではどんな勉強をしていたのか? (2/3ページ)
入学金にあたる「束脩(そくしゅう)」、月謝にあたる「月並銭(つきなみせん)」などを収める必要がありましたが、各寺子屋によってその金額は異なっていたようです。また、各家庭の経済状況に合わせて金額が決められていたため、たとえ貧しい家の子どもでも、等しく教育を受けられるようになっていたようです。
最初は各都市部を中心として成立した寺子屋は、発展していくにつれて地方にまで波及。19世紀以降には全国的にその数が増大したといいます。江戸時代の教育インフラとなった寺子屋は、日本が西洋式の近代教育を整える中で徐々に役目を終えていきますが、指導者がそのまま学校の指導者になるなど、その後の日本の教育を支える礎となったのです。
