あの素晴らしい〈フォークソング〉をもう一度<富澤一誠が歴史検証>「時代に選ばれた吉田拓郎がライブを変革させた」 (2/2ページ)

アサ芸プラス

若者たちにギターとジーンズを普及させ、髪を肩まで伸ばすほどの影響力を与えた。拓郎は71年の「中津川フォークジャンボリー」で2時間近く「人間なんて」を熱唱し、メインの岡林を完全に食ってしまった。時代が拓郎を選び、その後の「日本初のコンサートツアー」や「個人レーベル」など、その名のごとく原野を開拓していきました。両輪となった陽水もまた、73年に発表した「氷の世界」が、日本で初めてとなるアルバムのミリオンセラーを記録しています。

 74年は叙情派フォークブームが起こります。さだまさしが組んだグレープの「精霊流し」、N.S.Pの「夕暮れ時はさびしそう」、ふきのとうの「白い冬」がこの年にヒットしました。

 75年はヒット曲が多いですが、とりわけ女流シンガーの活躍が目覚ましかった。荒井由実の「あの日に帰りたい」にイルカの「なごり雪」、中島みゆきの「時代」や小坂恭子の「想い出まくら」も、この年のヒット曲です。男性アーティストではアリスの「今はもうだれも」や甲斐バンドの「裏切りの街角」も、グループが飛躍する支持を得ました。

 さらに事件と呼べるのは、6月1日に小室等が社長、拓郎・陽水・泉谷が取締役となった「フォーライフ・レコード」が誕生したこと。アーティストによるレコード会社は大きな注目を浴びました。

 また拓郎は8月2日から3日にかけ、静岡のつま恋多目的広場に、6万人の観衆を集め、かぐや姫とオールナイトコンサートを成功させた。これは今の音楽フェス隆盛の原点として語り継がれるでしょう。

 フォークシンガーは「テレビに出ない」という歌謡曲に対するアンチテーゼを示し、ライブやアルバムで成果を出す、一種のスタイルを築き上げました。70年代後半は、ユーミンの登場から「ニューミュージック」という言葉に取って代わられるようになる。それでも、松山千春長渕剛永井龍雲らがフォークの最後の世代として気を吐きましたが、80年代に入ると、サウンド志向の波に押されて下火となってしまいます。

 ただ、今なおフォーク酒場があちこちにできたり、ベスト盤がリリースされるなど、根強い人気を誇っていることは疑いようがありませんね。

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