清原はチーム内で孤立していた/内田順三が激白「スター選手秘話」(1) (2/2ページ)
関わった選手がレギュラーとして活躍するのはコーチ冥利に尽きます」
そう語るのは、現役時代を含めて、プロ野球最長となる50年連続でユニフォームを着続け、数々の一流選手を育てた内田順三氏(73)だ。指導者と して、巨人と広島での活動は通算37年に及んだ。いずれの球団でも、生え抜き選手を中心としたチーム編成に大きく貢献。球界屈指の人気球団に育て上げた。そんな内田氏の指導術を惜しげもなく、秘話を交えて紹介しているのが自著「打てる、伸びる!逆転の育成法」(廣済堂出版)だ。
中でも、目玉となっているのは、現在、更生に向けて再スタートを切った清原和博(53)との対談だ。96年オフに西武から移籍してきた清原は当時、「番長」と称される球界のトップスター。しかし成績は振るわず、97年、98年とチームが優勝を逃した「戦犯」としてバッシングされた。チームからも孤立していた状況に手を差し伸べたのは、2軍打撃コーチから1軍の打撃コーチに復帰したばかりの、他ならぬ内田氏だった。
「本格的に1軍の選手に関わるようになったのは、99年の宮崎春季キャンプからでした。キヨは宿舎の青島グランドホテルの宴会場の隅で一人、黙々と1時間ほどバットを振っていました。共同の自主トレ場所だったので、他のチームメイトはキヨに気を遣って時間をズラして素振りをしていたようです。そんな周囲の気遣いを、キヨ自身は露知らず。『なんで、ジャイアンツの選手は素振りをしないんだ』 なんて思っていたみたいですけどね(笑)」
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