「僕は僕を好きになる」MVの山下美月に見られるプロフェッショナルとしてのアイドル【乃木坂46「個人PVという実験場」第17回5/5】
乃木坂46「個人PVという実験場」
第17回 ドキュメンタリーとアイドルの間 5/5
■オンとオフを分けることの難しさ
ここまで扱ってきた個人PVは、アイドルという職を生きる乃木坂46メンバーたちのいとなみのうちに浮かび上がる、虚と実の狭間をさまざまなかたちで描き出すものだった。それらはまた、「演じる」者たちとしてのメンバーの姿が、すぐれて現れる場所でもあった。
とはいえ、実のところ今日のアイドルについて「虚/実」、あるいは「演じている/いない」といった、いわばオンとオフを明確に二分するような見方を当てはめることは、さほど的確な見立てではない。
というのも、狭義の「ステージ」上に立っているか否かを問わず多くの時間をカメラで記録され、SNS等での発信も日常的なルーティンになり、パーソナリティが絶えず消費される今日のアイドルのメディア環境にあって、彼女たちのオンとオフは互いに融解していくためだ。どこまでを明確な表舞台と言いうるのか、峻別することは容易ではない。
それを象徴的に表すのが、乃木坂46が今年1月にリリースしたシングル表題曲「僕は僕を好きになる」のMVである。
https://www.youtube.com/watch?v=F_WgREJgJhw
(※「僕は僕を好きになる」MV)
センターを務める山下美月の行動にフォーカスするこのMVでは、「楽曲パフォーマンス収録を終えた山下が帰宅し家族と食卓を囲む」「他メンバーと待ち合わせて渋谷を散策する」「メンバーたちと別れて一人タクシーに乗る」といった、一見プライベートであるようなカットがことごとく「そうしたさまを演じる仕事」であったと判明していく。
エンドレスにオンとオフが侵食し合う状況を描き出したこのMVはほとんど、アイドルという職能とメディア環境とをめぐる教材のようでさえある。眼差しに追われ続けるその構造は、静かな怖さを感じさせる。
■アイドルという職業的性格そのものを物語る
一方でこのMVは、アイドルの職業的性格を巧みに物語ってみせるものでもある。アイドルはいくつもの異なる位相のキャラクター、アイコン、登場人物を次々に上演し続けることをその職能とする。
さまざまなジャンルへ越境しながらなにがしかを演じ続けることは、わかりやすく特定の一分野に専従する仕事とは性格が異なるだけに、そのプロフェッショナル性が認知されにくくもある。
プロフェッショナルとしてのアイドルであるとは、具体的にどのようなことなのか。それを視覚的に解き明かすものとして、この5分強の映像には新鮮な説得力がある。
グループの矜持と希望を感じさせるラストは、この職能を肯定するような晴れやかさをたたえている。アイドルという職業が必ずしも理解されやすいものではないからこそ、このMVの志向には意義がある。
作り手の意図がどこにあるにせよ、このMVには冷ややかな怖さとアイドルという職能への誇らしさとが同居している。そして、その対照的な二側面のいずれかだけに拘泥しても、「アイドル」という職の複雑さを見落とすことになる。
絶えずオン/オフが融解しアイドルのパーソナリティが消費されていく怖さだけを抽出するならば、アイドルという存在をどこまでもシニカルに捉えることに終始してしまう。
けれども、送り手からオフィシャルに供給されたこのMVを単に誇らしいものと位置付けてしまえば、アイドルをとりまく構造やメディア環境を、疑うことなく肯定してしまいかねない。このMVをすぐさま明快に位置づけようとするのでなく、少々の心地悪さを持て余しながら問い返すことはおそらく無益ではない。