喫茶、我慢、覚悟も!まだまだある、仏教が由来になっている日本語たち:その2 (2/2ページ)
仏教では、「だいしゅ」と読み、仏教に帰依した「多くの僧侶」のことを指しました。そこから転じて、現代の意味のように「多くの人」を示す言葉として使われるようになりました。
億劫「劫」とは、古代インドの数学の単位で、極めて長い宇宙論的な時間を表しています。
『雑阿含経』や『大智度論』など多くの経論では、「一劫」を、「四十里四方の大石を、いわゆる天人の羽衣で百年に一度払い、その大きな石が摩滅して無くなってもなお終わらない時間、あるいは、方四十里の城に小さな芥子粒を満たして百年に一度、一粒ずつ取り去り、その芥子がすべて無くなってもなお尽きないほどの長い時間」だとしています。
いずれにせよ、気が遠くなるような、とっても長い時間のことを表しています。そして、その「劫」が億もある、ということから、果てしなく長い時間の前で、やるべき意欲をなくしてしまった状態をさし、そこからめんどうで気が進まないさまを表すようになりました。
覚悟「覚」は、仏教で「悟りの知恵」を意味しています。
「悟」もまた「さとり」を意味しています。「覚悟」とは、真理を体得して、さとりを得ることを意味し、迷いの眠りから覚めることを表していました。それが今では、「強く心に決めることや決心した心そのものを意味するようになりました。
我慢我慢は、もともとサンスクリット語で「mana」の漢訳した言葉です。仏教では、慢とは、他人と比較して思い上がることを言います。
そのことから、元来、我が身をのみ頼みて人を侮るような心を指す状態を表していましたが、現在では、「耐え忍ぶこと」「 こらえること」を意味する言葉として使われており、同義の言葉は仏教では、「忍辱」にあたります。

今回も、仏教に由来する日本語をいくつか見てみました。こうしてみると、元来持っていた言葉の意味から大きく変わってしまったもの、変わらないで読み方だけ変化して使われ続けているもの、いろいろとありますね。
時代の流れの中で、どうして現在のような意味に変化していったのか、いろいろと探ってみるとまたおもしろいことがわかるかもしれません。
参考:日本語倶楽部 『この言葉の語源を言えますか?―当然のように知っておきたい日本語』(2002 KAWADE夢文庫)
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