横綱・鶴竜引退インタビュー「身体と心の限界のあいだで感じた思いと決断」 (2/2ページ)
横綱として、中途半端な状態で土俵に上がるわけにはいかないですから……。「これが最後の相撲」と決めて土俵に上がれなかったことは、残念に思っています。
■井筒部屋に入る前の思い出
ーーさて、親方は多くのモンゴル出身力士と違って、少年時代にモンゴル相撲の経験はなかったそうですね。
鶴 ハイ。白鵬関のお父さんはモンゴル相撲の横綱だし、朝青龍関や時天空関のお父さんも強い人。子どもの頃からモンゴル相撲が身近にある人もいますが、私の場合は、そういう環境はなかった。それよりもバスケットボールが大好きで、NBAのファンでした(笑)。それで15歳のとき、八角親方(元横綱・北勝海)が、モンゴルで少年相撲大会を開くという話があって、私も参加したんです。しかし、あえなく予選落ち。そこで優秀な成績の少年は、日本に渡って力士になれました。相撲経験がなかったにせよ、「予選落ち」はショックでしたね。そんなこともあって、「力士になりたい」という思いが強くなっていったんですが、どうやったら力士になれるか、分からない。困っていたら、父の知り合い(大学の日本語教授)が助け舟を出してくれて、日本の相撲関係者のところに手紙を2通送りました。「受け入れてくれる部屋がありましたら、期待に応えるべく、一生懸命頑張ります」という内容です。
ーーその1通が、のちに入門することになる井筒部屋に届いたんですよね?
鶴 手紙は本当に運任せだったんですが、送付した翌月くらいに、モンゴルの自宅に、井筒部屋のおかみさんから電話がかかってきて、「すぐにでも、日本に来ませんか?」と。さすがに、「わ〜、どうしよう!?」となりましたけど、それから半年後に、日本に行くことになったのは幸運でした。初めて部屋に入ると、畳の匂いが独特だったことを覚えています。あれから、男になって、お父さんになって。手紙に書いたことを守れたのはよかったですね。
このあと鶴竜には土俵での思い出や19年分の相撲にかける思いを語ってもらった。この続きは現在発売中の『週刊大衆』5月3日号で。