日本プロ野球の“分裂の象徴”交流戦・セVSパ「70年戦争のウラ真相」 (2/2ページ)
「オールスターで野村さんは、自らのリードで王(貞治)さんを27打席無安打に抑え込んだ。それも、なんとかして自分の存在価値を上げてやろうという意識の表れでしょうね」(同)
■オールスターゲームでは、明らかにパ・リーグのほうが実力は上だった
ONを含むセのスター選手が一堂に会するオールスターゲームは、人気で劣るパの選手にとって“顔を売る”絶好の機会。ガチンコだったのは、野村だけではなかった。
「いつもガラガラのスタンドでプレーしていたパの選手にとって、球宴は晴れ舞台。セの選手はお祭り気分でしたが、元祖“オールスター男”といわれた山内一弘さんを筆頭に、パの選手はみんな、真剣勝負でしたね」(当時を知る元記者)
パの選手にとって、球宴は単なる“宴”ではないプロとしての見せ場。その背景には、プロとしての矜持があった。江本氏も、「明らかにパ・リーグのほうが実力は上だった」と語る。
「なにしろ、(阪神に移籍した)私が通用したわけだから(笑)。少し球速を落として、四隅を突くコントロールを意識してやれば、軽く抑えられた。強打者ぞろいの豪快なパ・リーグ野球に慣れていた自分からすると、正直“こんなもんか”とは感じたね」
ちなみに、阪神の人気に火がついたのは、社会現象ともなった85年の日本一以降。江本氏が在籍した当時は、人気の面でも巨人の後塵を拝するローカル球団でしかなかったという。
「甲子園でもふだんはガラガラ。巨人戦以外はアルプスを閉めて客を入れないこともあったからね。“珍プレー”なんかじゃ、ロッテ時代の川崎球場がよく流れたけど、大洋対広島戦あたりも、そんなに変わらなかったと思うよ」(前同)
5月31日発売の『週刊大衆』6月14日号ではセ・パの間に起こった10の事件を掲載している。