真田十勇士とは?戦国武将・真田幸村を支えた10人の凄腕家臣達【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

真田幸村が秀吉の人質だったころに熊野灘で出会い家臣になったのです。海賊の頭領だったため、水軍の指揮に長けていました。筧十蔵が根津甚八に世話になって、義兄弟の契りを結んでいます。

関ケ原の戦いや大阪冬の陣・夏の陣では幸村の影武者となって獅子奮迅の働きを見せましたが、大坂夏の陣で穴山小助とともに壮絶な討ち死にしています。

根津甚八のモデルは、真田家の実在武将の禰津小六(ねずころく)。しかし、別のモデルで浅井長政の養子の浅井井頼(あざいいより)との説もあります。浅井井頼は、大坂夏の陣で大阪城二の丸を死守して討ち死にした武将です。

筧十蔵(かけいじゅうぞう)

筧十蔵は、元は豊臣の譜代である蜂須賀家(はちすかけ)の家臣でしたが、真田幸村に心惹かれて家臣となりました。小姓から幸村に仕えていたため、家臣としては最古参の一人です。

使う武器は種子島銃で、十勇士の中では異色。

性格は豪胆で真田幸村の信頼も厚く、狙撃隊隊長の任を担っていました。大坂夏の陣でももちろん大活躍しましたが、敗走の後幸村とともに薩摩落ちしています。

筧十蔵のモデルは、実在の人物で真田幸村に仕えていた小姓の筧十兵衛(かけいじゅうべえ)です。

海野六郎(うみのろくろう)

海野六郎は根津甚八・望月六郎と同じく、信濃国の有力な血縁集団の武家の出で、小姓のころから真田幸村に仕える最古参の家臣です。幸村からの信頼は絶大で頭も切れ、真田十勇士の参謀的な役割を担っていました。まさに真田幸村の右腕だったのです。

出雲阿国の歌舞伎踊りが好きで、踊っている姿を幸村が気に入り家臣にしました。影武者としての任も担っていたようです。

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