尾崎豊「没後30年目の新証言」(5)六本木でケンカを売られた (2/2ページ)
「六本木を歩いていると、酔った尾崎は目つきが悪いから街の不良にからまれるんですよ。しかも、肩で風切って歩くから、チンピラに見えたかもしれない。すぐケンカになって、警察が来るというので一斉に退散していました」
樫原は尾崎の4枚目のアルバム「街路樹」でプロデュースも担当する。ただし、尾崎の薬物による逮捕なども影響し、発売は大幅に遅れた。もっと決定的だったのは、尾崎自身の創作意欲や方向性が迷路に入っていったことだと、樫原は言う。
「できたばかりの曲を聴かせてもらうと、ニューヨークから帰って来た影響なのか、どうにも哲学的な匂いが色濃くなっているんです。作るのは尾崎自身ではあるけれど、時にはあまりにも抽象的な歌詞に『これじゃ何を書いてるんだかわからないよ!』と声を荒げたこともありました」
アルバムが発売された88年9月1日、すでに樫原は尾崎と会うこともなくなっていた・・・・。
尾崎にとって兄貴分と呼べるのが、同じ事務所に所属していたダイアモンドユカイである。ユカイの本名が田所豊で、尾崎は「俺たちは『ダブルゆたちゃん』ですね」と明るく言ったこともある。
ユカイは、尾崎を長嶋茂雄にたとえた。底抜けに明るく、ハチャメチャな部分を持っていたからだという。
「あんなに細いのに、リハーサルの合間に牛丼を3杯、立て続けに食べるんですよ。広島でのイベントの時は、朝までずっと浴びるほど酒を飲んで、明け方の屋台でラーメンを2杯食っていたからね。その体力がすごいなとうらやましくなった」
(石田伸也)
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