巨人・小林誠司の去就は…?プロ野球「歴史的トレード大事件」の裏側

日刊大衆

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 7月31日のトレード期限が迫る中、にわかに注目を集めているのが、巨人・小林誠司(32)の去就だ。

 かつてWBCで侍ジャパンの正捕手を務めた男も、現在は巨人の三番手の捕手。信頼を勝ちえていないのは明らかで“原監督の放出リストに入っているのでは”と囁かれているのだ。

「正捕手・田村龍弘をケガで欠くロッテなど、実績のある小林をトレードで欲しがる球団は少なくないはず。ただ、最大の問題は交換相手。原監督を納得させられる選手が用意できるかがカギでしょうね」(スポーツ紙デスク)

 仮に小林のトレードが成立すれば、球界に衝撃が走るのは必然だが、歴史を振り返ると、これまで多くのサプライズ移籍が繰り広げられてきた。

 たとえば、その代表格が“巨人・小林のトレード”。とは言っても、当事者は“誠司”ではなく“繁”のほう。舞台は、江川卓の「空白の一日」事件だ。

 1973年のドラフトで阪急、77年にはクラウンから1位指名されたが、入団を拒否していた江川。78年オフに、「独占交渉権はドラフト会議の前々日まで」とする制度の穴をつき、巨人と契約を結ぶ。だが、この契約が無効と裁定。正当性を主張する巨人が、ドラフト会議をボイコットする大騒動へと発展した。

「3度目のドラフトで江川の交渉権を得た阪神は、実は最初からトレードありきの指名。水面下で巨人と交渉しますが、交換相手がなかなか折り合わなかった。そんな中、阪神側は、長嶋監督が小林繁を交換要員に、田淵幸一を欲しがっている、との情報を入手。小林は巨人のエース格ですから、阪神からすれば、願ったりかなったりの人選でした」(当時を知る元記者)

 1月31日という、キャンプイン前日の羽田空港で球団関係者に“確保”された小林は、長時間の説得を受けてトレードを了承。

 当の本人は「プロなら当然」と多くを語らなかったが、移籍初年度には22勝を挙げ、最多勝と沢村賞を獲得。対巨人8連勝と、意地を見せた。

■トレードの複雑な思惑

 当時、阪神の選手会長だった江本孟紀は言う。

「彼は5歳下で、球団からも“面倒を見てくれ”と言われていたから、何かと気にはかけたよ。ふだんは楽しそうにしていたけど、内心には巨人への怨念みたいなものを、やはり抱えていたと思う。下位指名から叩き上げて、やっとつかんだ地位。そりゃあ、巨人で終わりたかっただろうしね」

 そんな江本も2度にわたるトレードの経験者だ。特に75年、阪神の江夏豊・望月充、そして南海の江本・島野育夫・長谷川勉・池内豊の2対4のトレードは、もはや伝説だ。

「球団から“阪神へ行ってくれ”と言われて、相手を聞いたら、江夏だと。野球はどこでやっても一緒だし、私自身は“しょうがないか”という感じでした。選手兼監督だった野村(克也)さんからも直接、言われたよ。“俺は江夏を仲間にしたい。あいつの球を1回、受けてみたい”って」(前同)

 南海に移籍した江夏は、野村監督の「野球に革命を起こしてみんか?」の殺し文句とともに、リリーフに転向。抑え投手という役割を日本球界に定着させた“美談”としても知られるが、当時のトレードには複雑な思惑が絡むことが多かった。

「私が南海に行った最初のトレードも“野村が江本に惚れ込んだ”的な見方をよくされますが、実際は違う。野村さんの一番の目的は、正捕手の地位を脅かしかねない存在だった高橋博士さんをヨソに出すこと。そこに東映が手を挙げて、安い私がつけられた、というのが真相です。入団から1年たたずにトレードされた選手なんて、私ぐらいのもんですよ(笑)」(同)

 6月14日発売の『週刊大衆』6月28日号では、このほかにも過去起こったトレードにまつわる事件を掲載している。

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