原田大二郎 過酷な撮影だった「Gメン’75」を降板した理由は? (2/2ページ)
初回の試写をみんなで見てたら、近藤さんが「大二郎、お前疲れてるぞ」って言うの。「気をつけろよ」って。それでカチンと来てね。
テリー えっ、なんで?
原田 疲れさせてるのはあんただろうって。なにしろ3月ぐらいに撮影に入って、6月ぐらいまで休みなしなんだから。その間、船のハッチに落ちるわ、いろんな命がけのシーンも撮ったのに、それを「疲れてる」のひと言で済ますとは何事だと思ってさ。
テリー そういうことか。
原田 それでうちに帰って、その時の監督だった山口(和彦)さんに、「山ちゃん、ちょっと悪い、俺降りるから。近藤さんに伝えといて」って。
テリー 言っちゃったの?
原田 言っちゃった。誰にも相談しないで。そしたらすぐに近藤さんから電話があって、「そんなこと言うな」って言われたんだけど、「いや、俺はもうこれ以上やれませんから」って。
テリー いくつの時?
原田 31歳。
テリー 若いね。
原田 精神年齢は25、6歳でしたね、世間知らずで。で、その後もいろいろあったんだけど、「わかったから、お前が殉職するホン(台本)を書くから、その間ちょっと休んでくれ」って言われて、その間に僕、北海道の霧の摩周湖に行ったんですよ。朝からすごい霧が立ち込めててね。で、湖面を見てたら風が吹いてきて、その湖面が急にブワーッと現実になってきたの。
テリー ん、どういうこと?
原田 その時に頭の中でカチンって何かが合わさったような音がして、急に「あ、さっきまで俺、ノイローゼだったんだ」っていうことがわかったんですよ。
テリー あ、なるほど。つまり、それまでの言動は全部ノイローゼのせいだったってこと?
原田 そう。ノイローゼって治るまで自分でも気づかないんですよ。それだけ気合いも入ってたし、頑張りすぎたんでしょうね。