イタズラが悲劇へ、自ら爆死…残念すぎる最後を遂げた日本史上の偉人たちを紹介 (2/3ページ)
関ヶ原の戦いに巻き込まれただけの宇喜多秀家
武将・宇喜多秀家(うきたひでいえ)は子供のころから、豊臣秀吉の気まぐれな女好きによって数奇な運命を歩まされます。
秀家は、母親が美人ということから秀吉に気に入られ出世しました。秀吉が織田信長に仲介し、わずか10歳で遺領相続を許されるなど、当時では異例のことでした。
秀家は大人になり、秀吉から備中東部から美作・備前の領地を任され、57万石の大大名になるまで上り詰めました。
戦国時代の天下人・豊臣秀吉を支えた5人の大名「五大老」たちの明暗【前編】そして秀吉の死後、徳川家康と石田三成の権力争いが勃発します。その関ヶ原の戦いに巻き込まれ、敗戦してしまった秀家は、八丈島に流されてしまいました。
関ヶ原の戦いを首謀したのは石田三成ではなく、宇喜多秀家だったのではという諸説もあります。
秀家は、八丈島に流されたあと90歳くらいまで生きたといわれています。晩年は「お米が食べたい」と妻の実家である前田家に手紙を送ってまで頼っていたようで、妻の実家では武士の恥さらしとよばれていたのだとか。

