尊王攘夷運動が激しくなった幕末、粛清の対象となった「安政の大獄」の被害者たち【後編】 (2/4ページ)

Japaaan

その他に粛清された人物 略歴

梅田雲浜や橋本左内、吉田松陰の他にも安政の大獄で粛清された人物達がいます。あまり名前は表に出てきませんが、安政の大獄の引き金と言われる飯泉喜内や水戸藩家老の安島帯刀など、略歴も含めて紹介します。

飯泉喜内(いいいずみきない)

始めは土浦藩藩士、後に上京して江戸時代後期の公卿三条実万(さんじょうさねつむ)の家士となります。梅田雲浜や橋本左内らと将軍後継問題で一橋派に属し、ペリー来航に関しても幕政を激しく批判。捕縛されたのは、ロシア人との接触という程度の嫌疑でしたが、押収された書類に多くの尊王攘夷志士たちとの手紙があったことから、危険分子とみなされ斬首となります。享年55歳。

この押収された書類が安政の大獄のきっかけとも言われています。

頼三樹三郎(らい みきさぶろう)

Wikipedia

幕末の儒学者で、20歳ごろから尊王攘夷の志を持つようになります。30歳で母が亡くなると、自重していた尊王攘夷運動に歯止めがかからなくなり、家族を捨ててのめり込みます。

3年後、将軍後継で朝廷に一橋慶喜擁立を働きかけ、強烈な幕政批判を行います。その後、安政の大獄で捕らえられ斬首されました。享年35歳。

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