戦国武将の「老後と終活」を暴く〈老いの哲学2〉伊達政宗は「ゴマすり大名」と陰口を叩かれていた (2/3ページ)

Asagei Biz

 立花宗茂伊達政宗も、晩年になって、若い人から過去の業績をリスペクトされ慕われるというのは、幸せこの上ない理想的な老後といえる。

 他方、プライドや信念を捨てられなかった頑固者の福島正則は、関ヶ原合戦では西軍の石田三成が嫌いという理由だけで、徳川軍についた。

 豊臣家がまさか政権から転落するとは考えていなかったので、その後、ことあるごとに徳川に反抗的な態度をとり、大坂の陣の時には、江戸に留守居役として留め置かれてしまう。後に、広島城を無断で修築したという武家諸法度違反の容疑をかけられ、広島五十数万石からわずか4万5千石の信濃・川中島に減らされてしまった。

 頑固者の哀れな老後というほかない。

 豊臣秀吉の晩年は、それまで側室200人余りを抱えていたにもかかわらず、跡継ぎが生まれなかった。そこへ突然、側室の淀殿が秀頼を産んでからは、狂気としか思えないような言動をするようになる。

「跡継ぎとして養子にしていた甥の秀次を謀叛の容疑をかけて殺してしまったり、朝鮮出兵で世界征服を妄想したり、京都醍醐寺で盛大すぎる花見をしたり。

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