3度目の介錯でようやく絶命。新撰組の勘定方だった「河合耆三郎」の切腹劇【前編】 (2/2ページ)

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浪士としての活動

勘定方であった河合だが、新撰組の自警活動にも参加している。1864年に起こった池田屋事件(中央政界への影響力低下を危惧した長州藩を中心とした尊王攘夷派浪士たちと繋がる古高俊太郎を新撰組が捕縛。浪士たちが古高奪還を相談するために開いた会合現場を新撰組が襲った事件)では、副長である土方隊の構成員として参戦したとされる。

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池田屋の会合を発見し最初に踏み込んだのは近藤隊であり、河合が組み込まれていた土方隊は後に合流している。河合が相対する浪士たちと刃を交えた記録はないが、現場に参加していた可能性は高いと考えられている。

【後編】では新撰組隊士として尽力した河合が切腹するに至った理由と顛末を探る。

後編の記事はこちら→

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