藤本タツキ新作『ルックバック』に抗議殺到!? 果たして「心を傷つける作品」だったのか (2/2ページ)

まいじつ

しかし実際に作品に触れて傷ついた人ならともかく、第三者が「傷つく人がいるかもしれない」と抗議を行うのは果たして正しいのだろうか?

また、同作において事件の名前が直接出てくるわけではなく、あくまでクリエイターが突き当たる〝運命〟のメタファーとなっている。ショックを受ける人はいるかもしれないが、それはこの作品が向き合おうとしている主題の重さと通じるところだ。きわめて繊細な問題であり、「配慮すべき」というルールを押し付けて済ませることもまた暴力的と言えるだろう。

漫画で“悪”を描くことの問題

2点目として、作中で起きた事件の犯人像に対する批判もあがっている。この犯人が事件を起こした動機は被害妄想によるもので、とくにその原因は描写されていない。しかし幻聴を聞くような描写があったことから、「統合失調症」と捉えた読者が多かったようだ。

一部では、物語上の〝悪〟として「統合失調症」を出すことで、偏見を助長させているという不満が爆発。《統合失調症患者への差別を助長している》《統合失調症の症状を単なるモンスターの要素として描いている点がモヤモヤする》《キーパーソンである統合失調症患者の描かれ方がステレオタイプそのもの。この描き方をノーチェックで世に出した集英社、21世紀の人権感覚は大丈夫なんだろうか》といった批判が飛び交っている。

とはいえ作中では「統合失調症」とは明記されておらず、薬物やアルコール中毒など他の要因によって被害妄想を抱えていた可能性は考えられる。もちろん、「明示されていないから無関係」と言い張るのはお門違いだろうが、差別表現と断定すべきかは疑問が残ってしまう。

さらに踏み込んで説明すると、そもそも同作は「クリエイターとしての生き方」をテーマとした作品だ。そこでは主役2人だけでなく、被害妄想を抱えている犯人もまた1つのクリエイターとしてのあり方を体現したキャラクターだった。同じ〝業〟を背負った人間によって、主役の2人は運命を変えられるのだ。

つまりこの犯人によって物語が動くことは作品上、必然的なことだと言える。差別を避けるために「犯人の造形を変えればよかった」「他の出来事で悲劇を描くべきだった」と主張するのは、作品のテーマを変えることに直結してしまうのではないだろうか。

いずれの問題にしても、作品の上辺ではなく根本の部分と関わっている。9月3日には「ルックバック」の単行本が発売されるようだが、作品内容が保持されたまま掲載されることを願いたい。

文=野木

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ufabizphoto / PIXTA

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